2004年3月22日 香港狂騒曲 / バリ旅行記(その26) アラムプリ

ガーベラ

昨日、『香港狂騒曲』という本を図書館で借りて読みました。 すでに借りられる限度数6冊を使い果していたので借りるつもりはなかったのですが、 書棚の前でちょっとパラパラとめくってみたら、これが面白い!! ついついそのまま読みふけり、 閉館時刻になっても読み終わらなかったので、 すでに借りた本を1冊を返して、借りて帰りました。

「香港って一体何なのか」、「どういう街なのか」、というイメージを作るのに ぴったりな本です。 様々なエピソード、様々な登場人物が香港気質を浮き彫りにしていて、とても面白い。

発行は、返還前の1994年。 天安門事件の衝撃がまだ完全には冷めやらぬ頃、 ジャパンマネーが香港に強い影響力を持っていた頃に書かれた本です。 そういえば10数年前、バブルに踊った俄か投資家たちは、日本国内の不動産を買い尽くすと、 香港の不動産を買いに走ったものでした。 「ヤオハンの香港移転」なんていうくだりに懐かしさを感じます。

でも、少し古いあたりが余計に、"After that"の好奇心を抱かせる。 この本に出てくる香港の不動産王・李嘉誠は、 ここ数年の香港地価暴落にあって、どうなっただろうか、 今でも変わらぬ隆盛を誇っているのだろうか、などという下世話な好奇心から、 ネットで追跡調査をかけてみたりする始末。
‥結果は、今もなお、彼は世界長者番付24番目にランクインする富豪だそうです。 さすがに海千山千の経済人、返還前の香港地価バブルには踊らなかったとみえます。

全編を通して面白かったのですが、一番印象に残ったのは、 シンガポールのリ・クアンユー首相が 返還後の香港のあり方について述べているところ。 「民主化を求めて中国と対峙するな」と香港市民に対し、 事あるごとに発言する同首相の見方を、筆者は「冷めた目」と評していますが、 あまりに的を得ているそのアドバイスが客家の同胞への老婆心のように感じられるのは、 わたしだけでしょうか。

『香港狂騒曲』 上村幸治 1994年 岩波書店

◆◆◆

【 バリ旅行記26 アラムプリ 】

20日の続き

絵が描き上がった日の翌日、 新しい根城・アラムプリで目覚めたうさぎはちょっと不機嫌だった。 絵を描き終えてしまった今、どうやってバリでの残り2日間を過ごせばよいのだろう? 今やうさぎはすっかり燃え尽きてしまい、きりんにこう言ったものだ。
「もうバリでやることなんて、何も残っていない。 このまま日本に帰ってもいいような気がする」と。
アラムジワから離れた今、すでにバリ旅行は終わってしまっているような、 そんな気がしていた。

けれどアラムプリは、そんなぼやきの場には勿体なさすぎるリゾートだった。 ちょっと変わっていて、しかもきちんとしたリゾートだった。

アラムプリは、広大なバリの田園地帯の中、ポツンと立っていた。 ウブドとデンパサールの中間あたり、この近くに外国人観光客が泊るようなリゾートは 他に一つもない。 バリにはウブドのほかにも、ヌサドゥア、クタ、ジンバラン、サヌールなど、 リゾートの寄り集まったエリアがいくつもあるが、唯一アラムプリだけは、 それらどこのエリアにも属していない。 便宜上、どこかのエリアに区分けされていることもあるが、 ウブドに区分けされていることもあれば、クタやデンパサールであることもあり、 ことほど左様に、アラムプリの立地は特異なのであった。

特異なのは立地だけではない。 リゾート内がこれまた変わっている。 7種類あるヴィラにはそれぞれ著名なバリ画家の名前がつけられており、 ヴィラの内部にはその画家の絵がふんだんに飾られていた。 図書室には古今東西の画集がズラリと揃っている。 となりでは美術館を建設中。 はっきりとアート志向なのである。

アートというのは絵画だけとは限らない。 部屋のあちこちには石像やら木彫りやら、さまざまなオブジェがあり、 トイレで首から上だけのお釈迦様がニンマリ薄笑いを浮かべていたりする。
庭は庭で、バリ調の石像などに混ざって、 わけの分からない木彫りの人形が庭の木陰にひっそりと身をひそめていたりする。
「一体これは何?」と尋ねたら、「ジャパニーズドール」という答えが返ってきた。 「これが日本の人形かい、それは絶対ありえない」と内心思ったが、 どうやらうさぎの聞き違い。 "ジャパニーズ(日本の)"ではなく、"ジャバニーズ(ジャワの)"人形であった。

一方、アラムプリは、真面目できちんとしたリゾートであった。 広々とした部屋は贅沢なだけでなく、よく手入れされていた。 スタッフは丁寧で親切で人懐こい。 あれだけ大人気のアラムジワから移ってきても、決して見劣りしない。 アラムジワにはない"リゾートらしいリゾート"でもあった。

午後にはアフタヌーンティと称して、お茶とおやつが出る。 その手作りのおやつはなんとも美味しくて、 昨日の夕方うさぎがアラムジワから帰ったときには、 うさぎの分まで子供たちがつまんでしまっていた。

朝食にしたってそうだ。 深い渓谷を見下ろすテラスでとる朝食は、 真っ白な食器にのった卵料理と、自家製と思しきパン。 暖かいココアを頼んだらちゃんと出てきた。 それに冷たいフレッシュジュース。 伊草のランチョンマットが敷かれ、ハイビスカスの花が添えられている。 寝起きのぼやけた頭に心地よい外の空気、舌のみならず、目と鼻をも楽しませる食卓。 まったく非のうちどころない朝の風景だ。

朝食が終わりかけた頃、うさぎたちのテーブルに、 「サトラ」というネームプレートを胸につけた男性スタッフがやってきて、 うさぎたちに尋ねた。
「今日は何をなさいますか? どこかへ行かれるなら、車をお出ししますよ」
「そうねえ、バードパークにでも行こうかと思っていますけれど」とうさぎ。
「ではさっそく車の手配を」
「ああ、それには及ばないわ。自転車を貸してください」
「自転車?」
「そう。バードパークには自転車で行こうかと思ってるの」

サトラは神妙な顔つきになった。
「‥自転車だと、かなり時間がかかると思いますが」
「どれくらい?」
「15分とか‥20分くらいかかるかも」
「20分? ああ、それなら全く問題はないわ」
「‥。わかりました」 サトラは神妙な顔つきのまま、引き下がった。

その後、朝食を終えてリゾート内をブラブラしていると、 女性スタッフが遠くから「グッモーニン!」と声をかけてきた。 彼女の名前は"アユ"。 クシャトリア(貴族階級)出身の、どこか凛とした感じの若い女性である。 彼女とは、おとといの晩チェックインしたときから、すっかり打ち解けている。

「ウサギ、もしよかったら、他の部屋を見せて差し上げましょうか?」
「あら、それは素敵! ぜひお願い!」
うさぎたち4人は、カメラとビデオを携えると、 アユにくっついて、アラムプリ中の部屋を見せてもらった。 今日は他に4〜5組の韓国人客がいたはずだが、 彼らは早くも荷物をまとめて朝のうちにチェックアウトしてしまった。 だから、また夜に別のお客がチェックインしてくるまで、 うさぎたちはアラムプリの唯一の宿泊客ということになる。

アユは部屋から部屋へと案内しながら、うさぎに尋ねた。
「今日は‥、どちらへ?」 それはすでに答えを知っているような感じの訊き方だった。
「バードパークへ行こうかと思って」
「車で?」
ほら来た。やはり彼女はサトリから話を聞いているらしい。
「いいえ、自転車で」とうさぎが答えると、アユはすかさず言った。
「自転車で?! それは無理よ! 30分はかかるでしょうよ」
「30分? それくらいなら問題はないわ。だれか道案内がいればモアベターね。 もしいなければ、地図を持っていくわ」とうさぎが返すと、
「‥いや、40分はかかるかも」とアユ。

ついに40分と来たか、とうさぎは思った。 サトリはさっき、バードパークまで自転車で15分から20分くらいかかると言っていた。 アユは最初30分といい、それでもうさぎが諦めないとみるや、今度は40分と来たもんだ。 よほど自転車では行かせたくないと見える。
「ねえ、バードパークまで自転車で行くのは得策ではないと思う?」 うさぎはついに折れて尋ねた。
アユは言った。 「勿論よ。誰もバードパークまで自転車で行ったりしないわ」
それでうさぎも、バードパークには車で行くことにした。

バードパークまで車で送ってくれたのは"ピヌス"という男性ドライバーであった。 どうやらアラムプリ専属の運転手のようで、 車でどこかへ行きたいと思い立つと、いつも彼がそこにいた。 けれど昨日の朝、アラムジワに行ったときだけは例外で、彼はまだホテルに来ていなかった。

その理由は、その日の夕方、アラムジワからアラムプリに帰るときに分かった。 彼はクリスチャンだったのだ。
「もしかして」とうさぎは言った。 「朝ホテルにいなかったのは、礼拝に出ていたせい? そういえば今日は日曜日ですものね」とうさぎは言った。 彼はそうだ、と頷いた。
「ごめんなさいね。わたしのためにホテルから呼ばれて 礼拝を切り上げざるをえなかったのね」
「いや、構いませんよ。 どうせいつだってわたしは働いて働いて、ひたすら働かなくちゃならんのです。 バリニーズの分まで。 だってわたしはクリスチャンなんですから。 バリニーズたちときたら、年がら年中、やれオダランだ、やれ葬式だ、 で全然働かないんですから、その分わたしが働かなくちゃならないんですよ」と彼は笑った。 彼は西イリアンに近い島の出身なのだそうで、なるほど、 そういえばその辺にはクリスチャンが多いと聞いたことがあるのを思い出した。

バードパークから帰ると、フロントの側にルディがいた。 彼はアラムプリの総支配人である。 "総支配人"といっても、そこはそれ、部屋数の少ない小さなホテル、 彼もまだ30そこそこといった感じの若造である。 彼は独特の早口で言った。
「ウサギさん、おかえりなさい。無事でよかった。 もう、あなたが自転車でバードパークまで行くと朝聞いたときには、 どうしようかと思いましたよ。 "おい、バードパークまで自転車でなんて、1時間はかかるぜ。 この暑いバリでそんなことをしてみろ、死んじゃうよ。 大事なゲストを殺したら、こっちも無事じゃ済まないぞ" そう思ってヒヤヒヤしてました。 いやホント、思いとどまってくれてこっちも助かりましたよ」

彼は、ふいっと現われては、自分の喋りたいことをひたすら喋り、 またふいっと去っていく男であった。 昨日もうさぎがアユとフロントで話していたら、突然やってきて話に入ってきた。
「わたしはバリ生まれじゃないし、ヒンドゥー教徒でもないから、 まあここじゃあ一番のローカーストってわけですね。はははは‥! でもバリはよそ者にも寛容だから住みやすいですよ。 ムスリムだからって差別されることもないし。 ま、わたしゃ、信心深さとはほど遠い不真面目なムスリムでね、 ムスリムに生まれたってだけのことです。ははははは」

「あ、ところで、私がムスリムだからといって、 昨年11月のテロを起こしたテロリストたちとは無関係ですよ。 あれは頭のおかしい連中がやったことでね。 彼らが捕まって縛り首になるのはいいことだと思っています。 私を含め、普通のムスリムは彼らとは何の関係もないんですから」
「もちろんそうでしょう」とうさぎは相槌を打った。 そんなの当たり前で、わざわざ力説するほどのことだろうかとうさぎは思ったが、 彼にしてみれば、力説せざるを得ない背景がきっとあるのだろう。

ウブドのアラムジワは生粋の"バリのホテル"だったけれど、 アラムプリは"インドネシアのホテル"という雰囲気を持っていた。 ルディによれば、オーナーはバリニーズではあるものの、ジャカルタに住んでいるという。 インテリアも、そこにいる人々も幅広い。 そこが面白かった。 こんなアラムプリにあって、「燃え尽きた」なんて言ってるヒマはなかった。

そして、この日の夕方、 うさぎは「まだバリにいて本当によかった」と思いなおすことになる。 「アラムプリに泊って本当によかった」と。

つづく