2004年5月23日 パソコンのない生活

シャンデリア

先日、パソコンが壊れました。 突然フリーズしたと思ったら、マウスすら動かない状態になり、 ひとたび電源を切ったらそれっきり、二度と立ち上がらなくなったのです。 3年間、毎日付き合ってきたパソコンの、完全なるダウンでした。

パソコンが壊れてまず考えたのは、ハードディスク内のデータのことでした。 パソコン自体はいくらでも替えがあります。お金さえ出せば、いくらでも新しいパソコンが買えます。 でもデータばかりは、世界広しといえども、我が家にしかない。 いくらお金を出しても、一度失ったら最後、全く同じものを手に入れることは決してできない。 尤も、ウェブサイトはサーバーにアップロードしてあるし、 他のデータも重要なものはたいていCD-ROMにバックアップが取ってはいました。 でもそれも完全ではありません。 格納場所がよくわからないお気に入りやメールのデータは全く取っておらず、 加工途中の画像データなど、最近書き換えを行ったファイルについても、 どこまでバックアップが取ってあるものか、自分でもわかりません。 なので、ハードディスクが壊れていませんように、と祈るような気持ちでした。

でも、そうやって半日も祈っていたら、達観したんだか、諦観したんだか、 妙に醒めた気分になりました。 つまり、 「ハードディスクが壊れていてデータがダメになっていたら、それはそれですっきりしていいかも」 という気分になったのです。 そのクセ、そんな風に考えるのはやっぱり怖くて、一方でそれを必死に打ち消そうとする自分がいる。 そんなことを考えたら、助かるデータも助からなくなるような気がして。

学生時代、当時お世話になっていた教授から、こんな話を聞いたことがあります。 若かりし頃、お宅が火事になり、先生はそれまでの蔵書を全て失ってしまわれた、と。
「それはさぞかしお力落としでしたでしょう」と言うと、 先生は思いがけないことをおっしゃいました。
「いいや。それが、燃え盛る炎が実にきれいでねえ、 残念な気持ちも少しはあったのだろうが、妙にすっきりとした気分でね。 ああこれできれいさっぱり何もかも全部燃えてしまったなと、なんだか清清しい気分になりながら、 燃える炎を見つめていたものでしたよ」と。
この話を友人にすると、彼女は 「本が燃えてうれしいだなんて、学者とは思えぬご発言よね」と笑っていましたが、 わたしはどうしてもそのときの先生の気持ちが理解できず、ただただ不思議で、 だからこそ、20年以上経った今でもその話を憶えているのです。

「ハードディスクが壊れていてデータがダメになっていたら、それはそれですっきりしていいかも」 という気分は、火事で蔵書が全て燃えてすっきりした気分になったという、 あの先生の話と同じだな、と思いました。 どうしてそんな気分になったのかは分かりませんでしたが。

◆◆◆

パソコンが壊れたのは、日曜日のことでした。 翌日の月曜日、「データを救えるものならできる限り救ってほしい」というわたしの懇願により、 きりんがハードディスクを取り外して会社に持って行きました。 ヘタにメーカーに修理を依頼しようものならば、たとえハードディスクに異常がなかったとしても、 初期化される虞があるからです。 その危険を回避するために、別のパソコンを使って、 予めハードディスク内のデータをバックアップしてから修理に出すなら出そうというわけです。

わたしの方はとりあえず、メーカーに電話をして障害箇所の見当をつけてもらい、 おおよその見積もりを出してもらいました。 修理に出してからパソコンが帰ってくるまでおよそ10日、金額は3万5000円以内、とのことでした。 まだ、メーカーに修理に出すか、自力で直すか、はたまた新しいのを購入するかは 決めてはいませんでしたが、修理依頼はキャンセルできるということだったので、 とりあえず翌日パソコンを取りにきてもらう段取りだけ先につけておくことにしました。 修理に出すなら出すで少しでも早く出し、 少しでも早く元のパソコンのある生活に戻りたかったからです。

そのあとわたしは友人宅にお邪魔し、彼女のパソコンから自分のサイトの掲示板に パソコンが壊れた旨を書き込みました。 こうしておけば、メールの返事を待ちあぐねる人も少なくてすむでしょう。
わたしが「もう本当に、今回は参ったわよ」とぼやくと、 彼女はこう言ってくれました。
「うちにはノート型も何台かあるから、もしよかったら、修理の間、持って帰って使って」と。 わたしはびっくりするやらありがたいやらで、その言葉に飛びつきました。

‥けれども次の瞬間、思い直して借りないことに決めました。 3年ぶりにパソコンのない生活をするのも悪くないな、と思ったのです。

「パソコンのない生活も悪くはないさ」 それは、修理期間が10日と聞いたとき、負け惜しみ的に思ったことです。 本当はついさっきまで、10日間の修理期間を耐えがたく感じていました。 パソコンがなかったら、香港旅行記が書けない、検索で調べ物をすることもできない、 メールを受け取ることも返信することも、サイトの更新も、perlの勉強もできない。 デジカメのデータをパソコンに保存することもできないから、写真も撮れない。 何一つ満足にできない生活がこの先10日も続くのかと思ったら、本当は、暗澹たる気分でした。

けれど、友達がノートパソコンを貸してくれると言ってくれたおかげで、 わたしはパソコンのない生活を自分で選び取るチャンスを得ました。 そしてそれを選び取ったその瞬間、わたしの腹は決まったのです。
「パソコンが壊れたことを"不運"ではなく"チャンス"に変えよう」と。

「パソコンを借りない」と決めたときのわたしは、なんと清清しい気分だったことでしょう。 ああ、もしかしたら、蔵書を灰にする炎を眺めていた先生もこんな気分だったかもしれません。 燃えさかる炎を、新たなる出発の予兆と受け取ったのかも。

とはいえ、家に帰ってしばらくして会社にいるきりんから、ハードディスクが無事だったことを聞いたとき、 わたしはやっぱり心底ホッとしたのですけれどね。

◆◆◆

翌日の火曜日は、何もしない一日でした。 前夜きりんと相談してパソコンを修理に出すのをやめ、買い換えることにしたので、 朝メーカーにキャンセルを入れた以外、夕方ちょっとピアノを弾いた以外、 家事以外は何もしませんでした。 自分でもびっくりするくらい、朝から晩まで眠りこけました。 1日のうち、6時間くらいしか起きていませんでした。

「わたしね、毎晩眠りにつくときに、 家事以外のことで"今日はこれをやった"って思えることがないとイヤなの」
これは、わたしが結婚したばかりの頃、近所の先輩主婦が言っていた言葉です。 この言葉にはいたく共感し、わたしも毎晩眠りにつくときは、 「今日は何をやったかなー?」と思い出すのが日課になっています。
尤も、何もしないうちになんとなく1日が過ぎてしまって自己嫌悪に陥ることも多いんですけれどね、 3年前パソコンを買ってサイトを始めてからは、おかげさまで、 サイトの更新まで含めれば、毎日何かしら新しいものを生み出すことができ、 その日の成果に満足して眠りにつくことが増えました。

‥さて、パソコンがなくても、日々満足して眠りにつけるといいのですが‥。

パソコンが壊れてサイトの更新ができなかった初日である昨日は、 ひたすら算数の問題集をやりました。
そして二日目の今日は"眠る日"。 「今日は徹底的に寝たな」と思いながら夜、また眠りにつきました。

◆◆◆

火曜日に徹底的に眠ったおかげで、水曜日は朝からとても元気でした。 朝、算数の問題集を数ページこなしたあと、 カレンダーを見たら、あら大変! 今日は役員活動がある日でした。

慌てて仕度をして出かけ、帰りに街でパソコンを物色し、 perlの参考書もついに買いました。

家に帰ってきてもまだまだ元気! 図書館でどっさり借りてきた本を読みました。 それはなぜか、海外の旅行記ばかり。 動くパソコンの前に座っていれば、常に世界とつながっていられるのに、 パソコンがタダの箱になった途端、 世界は遠くて遠くて、せめて本の中で世界とつながっていたかったのかもしれません。

◆◆◆

木曜日は、またパソコンを物色しようと出かける準備をしていたら、 その近くにあるエステティックサロンの広告が目に入り、 唐突にお試しエステを受けようと思い立ちました。 実は土曜日に初めて「極楽タイランド」 のまおさんにお会いしたのですが、 まおさんの奥様があまりにきれいな肌の方だったので、 自分も少しでもきれいになれたらな、と心のどこかで思いはじめていたみたい。 「これから行きますが、予約取れますか?」 とダメ元で電話したらすんなり取れてしまったので、 4時間もかけて"お試しフェイシャルエステ"を受けてきました。

時おりしも「 ルルドへの旅・祈り 」という本を読んでいたところ。 奇跡など信じない医師が、ルルドの泉で瀕死の患者が治癒するのを目の当たりにし、 信じるべきか、信じざるべきか、どうやって過去の自分の認識の中にこの奇跡を 位置づけていくのか、思い悩む手記です。 エステティックサロンでの待ち時間の間にもそれを読み進めつつ、 わたしにもそんな奇跡が起きたらどうしよう?!とドキドキしました。

そして、結果、わたしの上にも奇跡は起きました! 頬の針の先でついたくらいの小さなソバカスが1つ半、取れたのです。 ごくごくごく小さいものとはいえ、 ほんのちょっとイオンだか電波だかを当てただけでずっと付き合ってきたソバカスが 取れたのにはびっくりしました。 まさに自分の目を疑う、といった感じ。 ひとつの奇跡といえましょう。

ただ残念ながら、それはコンマ数ミリの世界の奇跡であり、 わたしの容姿に決定的な影響力を持つほど大きな奇跡ではありませんでした。 大局的には、大してきれいになったような気はしない。 「続ければ、他のソバカスも全部きれいに取れますよ」 という、わたしといくつも違わない(本人談)なのに、 やたら肌のきれいなエステティシャンの言葉をルルド巡礼と重ね合わせ、 信じるべきか、信じざるべきか、本の中の医師といっしょに悩みました。

◆◆◆

エステティシャンの言葉を信じるべきか、信じざるべきか、 金曜・土曜は"奇跡について悩む日"だったような気がします。 おりしも、わたしよりもひとつ年上の松田聖子ちゃんのド・アップ広告が入ってきて、 それがまた信じられないくらいものすごくきれいな肌だったので、 悩みが深まりました。 ちょっと風邪をひいていたので、 本を読んだりピアノを弾いたり以外はこれといって何もできなかった分、 ときどき聖子ちゃんのきれいな肌を眺めては、これは修正写真なのだろうか、と悩みました。

◆◆◆

エステティシャンの言葉を信じるべきか、信じざるべきか、その答えは 日曜日にやっと出ました。 日曜日にパソコンを買いにきりんと秋葉原へ行った際、 聖子ちゃんのマユをちょっとまねしてみたら、けっこうそれがうまくいったような気がする。 なので、「わたしでも、きれいになれる!」という奇跡は信じることにしました。

でも、奇跡を起こすには何十万円もかかるらしい。 なので、奇跡を起こすのはやめにしました。 結局のところ、奇跡を信じるかどうかと、奇跡を強く望むかどうかは、別なのです。 こういうの、"ご都合主義"っていうのかもしれないけど。

雨の中、秋葉原に赴いたのは正解でした。 買いたいパソコンがだいたい絞り込めました。 でも高い買い物なので、あと一日だけ考えることにして、手ぶらで帰りました。

◆◆◆

また月曜日がめぐってきました。 わたしはついにパソコンを買い、それはその日のうちに我が家に配送されてきました。 ついにパソコンのない日々もおしまいです。 はやくセットアップして使いたいという気持ちの反面、 まだまだやりたいことが残っているのに、と焦る気持ちもありました。 まだ冷蔵庫の中の整理をしていないのに。 まだまだ読みたい本がたくさんあるのに。 perlについてオフライン状態でじっくり勉強したかったのに。 英語の問題集も少しはやろうと思っていたのに、全然やってない‥。

◆◆◆

火曜日。 新しいパソコンはすでに手元にありましたが、 そのセットアップは、きりんが帰宅するまで待たなくてはなりませんでした。

けれど、パソコンのない最後の日がまだ一日あるのは、嬉しいことでした。 今日はどんな日にしよう?!と思ったとき、 わたしは本を読んで過ごすことに決めました。 この一週間、本をよく読みました。よくピアノも弾きました。 今日もそういう日にして、この一週間を締めくくろうと思いました。

そう思ったとき、ちょっと分かったことがあります。 やりたいこと、やらなくてはならないことはいろいろあるけれど、 「今日はこれをやろう」と決めて取りかかることって大事だな、って。

メールを書いたり、HTMLを組んだり、cgiの不具合を直したり、家計簿をエクセルに打ち込んだり、 旅行記を書いたり、画像を取り込んだり縮小したり、ファイルをアップロードしたり。 パソコンでできることはあまりに多すぎて、一体何から取り掛かったらいいのか分からなくなって いつも迷います。
でも最後の火曜日、「パソコンがセットアップできたら、まず何をやろう?」 と考えたとき、頭に浮かんだのは、香港旅行記でもなく、アメリカ行きの手配でもなく、 バリ旅行記の英訳でした。

バリから帰ってきてもう9ヶ月。 バリ絵画を教えてくださったダギング先生とクリンティング氏に、 どうやってお礼の気持ちを表そうかと考えては、空回りしてきました。 最初はインドネシア語を少し勉強してお手紙を書こうと思ったのだけれど、いくらなんでもそれは無理。 ならば英語、と思ったけれど、 日本人が、英語が読めても話せないように、あちらは英語が話せても、読めないかもしれない。 バリの郵便事情も分からないしなあ、と、どうしようどうしようと思うばかりで、 何もしないでここまで来てしまいました。

だけど今、何をすべきかがやっとわかった。 インドネシア語でなくて、英語でいいから、とにかく伝えよう、と。 直接のお手紙でなくても、アラムジワへのメール経由でいいから、 とにかく感謝の気持ちを伝えなければ、と。 遠大な理想を掲げて空回りするより、とりあえずできることからやろう、 自分に合ったやり方で、と。 そこでバリ旅行記の英訳を思いついたのです。

けれども。旅行記の英訳は大変でした。 1ページ英訳するのに、半日かかりました。 これではいつになったら完成するのか分かりません。 インドネシア語でお手紙を書くほどではないけれど、まだまだ遠大すぎます。 そこで「遠大な理想を掲げて空回りするより、とりあえずできることからやろう」 とまた思い直し、 英語版バリ写真館を 作ることにしたというわけです。

だから、この一週間ちょっとの「パソコンのない生活」に成果があるとしたら、 それはバリ写真館の英訳に他なりません。 それにあと、聖子ちゃんみたいな眉の描き方、かな〜??