家計簿の記帳

結婚して30年以上、わたしはずっと家計簿をつけてきました。

子どもの頃のお小遣い帳からカウントすると、帳簿歴は かれこれ半世紀近くになります。う〜ん、我ながら大ベテランですね^^。

わたしが家計簿をつけるわけ、 それは必ずしも出費を減らすためだけではありません。 現代の生活におけるお金の役割は非常に高いので、 お金の流れを追うことで、生活が見えてくるという利点があります。

実際、わたしの家計簿を見ると、我が家の暮らしぶりがガラス張りでしょ? 家計簿から我が家らしさが溢れ出ていると思います。

現在は自分仕様の家計簿を作って使っているわたしですが、 結婚した当初は市販のものを使っていました。 でも同じ家計簿を使っている家が他にいくつあっても、 我が家の家計簿は世界中探しても、我が家にしかない完全なオリジナルです。

また、これまでの家計簿を並べると、家計簿は我が家の歴史となります。 家計簿は、アルバムと双璧をなす我が家の宝物であり、わたしが生きてきた軌跡です。 一時的にサボって記帳を溜め込むことはあっても、 辞めようと思ったことは一度もありません。 わたしにとって、家計簿をつけるのは、節約すること以上に、 記録としての意味が大きいのです。 だから、たとえ宝くじにでも当たって大金持ちになったとしても、 わたしは、家計簿をつけることを決して辞めないでしょう。

最近20年の家計簿
最近20年の家計簿

ところで、「どうしたら家計簿を続けられるの?」とよく人から訊かれます。

家計簿というのは日記同様、つけようと思い立つ人が多いわりに、 続けている人は案外少ないものの代表なのかもしれません。 そして、家計簿や日記が続かないのは根気がないからだと思っている人が多いようですが、 家計簿をつけるのにはゼッタイ根気が必要かというと、そんなことはないとわたしは思います。 だってわたし自身、根気とか継続力といったものにはほとんど無縁な性格なのですから。

じゃあ根気や継続力に欠けるわたしが家計簿記帳の原動力を何で埋め合わせしているかというと。 ・・・多分それは、好奇心と達成感ではないかと思います。

家計簿をつけると、いろんなことが分かって面白いんです。 まずモノの値段がよく分かるし、自分の消費傾向についてもよく分かる。 ロールペーパーを買わなくちゃ、と思うと憂鬱な気分になるのに、 服や本を買うのは楽しくてしょうがない。そういう自分が面白いんです。

自分にとって譲れるものと譲れないものがあることが分かるし、 発想をちょっと変えて自分の物欲をコントロールすることもできる。 家計簿に並んだ数字を見ていると、そういうことに気付いたりするのが面白いですね。 そして、そういう発見が「節約」という実益に結びついたときの その達成感といったらありません。

また"自分にとって何が譲れて、何が譲れないのか"、 家計簿に表れるそういう傾向を、わたしは"金銭感覚"と呼んでいますが、 家計簿には、それを"表す"だけでなく、それを"培う"効用もあると思っています。

何を納得のいく出費と思い、何に納得がいかないか。 何を高いと思い、何を安いと思うかは人それぞれ。

たとえば、靴下に穴が開いていても新しいのを買おうとは思わないのに、 掃除機のゴミを見るために2万もつぎ込む人。 妻の住宅リフォームには一銭だってかけたくないのに、 娘のバレエには何十万つぎ込んでも惜しくない人。 ・・・夫婦でもこれだけの違いがあります (アラ、どこの夫婦のことかしら?^^;)。

わが家だけではありません。 世の中には、他の人が聞いたら笑っちゃうような、 いろいろ偏った消費傾向を持った人がそこら中にいます。 いや、偏りをもっていない人の方が珍しいかもしれません。

たとえば。

知り合いの家のご主人は、お風呂で湯船に浸かるとき、お湯がザッパーンと外にこぼれないと気がすまないのだそうです。 そのお宅、水道料金の請求が2万を越えるそうです。 でもじゃあそのご主人は浪費家なのかというととんでもない。 電気は率先して消して回るそうです。

あと、子どもに7つも習い事をさせている知り合いがいました。 英語に習字、水泳、学習塾、ピアノ、バレエ、少林寺拳法・・・。 月々の月謝が、その子1人に10万かかるそうです。 で、お父さんは習い事に反対なので、 その月謝はすべて、お母さんが内職で稼ぎ出しているそうです。 内職で10万ですよ! 朝から晩まで、その子の月謝を出すために、 ひたすらプリント板のはんだ付け作業をしているのだそうです。 子どもの習い事を半分に減らして、 お母さん、半日はラクしたらいいのに、と思わないでもないですね。

でも、こういう偏った消費傾向って、なんだかいいなあ、とわたしは思います。

こういう偏りを否定するより、しっかり自覚して貫いた方が幸せなんじゃないか。 自分の消費スタイルを守ってメリハリのある出費をした方が、 いろんなものになんとなくテキトーに配分するよりも満足感が高いんじゃないかなあ、と思います。

家計簿には消費傾向の偏りがはっきり数字になって表れるので、 それが本当に自分にとって必要なこだわりなのかどうかを検証することができるし、 自分には譲れないものだとひとたび確信すれば、その過去の実績が こだわりを守っていくよすがになります。

靴下にアナが開いていても全然構わない。服は人のお下がりで充分。 ・・・でも、掃除機のゴミは見えなくちゃイヤ! 

・・・そういう金銭感覚が実践できることを、わたしは幸せだな〜、と思うし、 その記録であるからこそ、家計簿が愛しいのです。

家計簿ノススメ(其ノ弐)につづく

初稿:2003年6月3日
最終更新日:2019年11月18日

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