うさぎの赤ちゃんとお母さん
うさぎの赤ちゃんとお母さん。

今回は、長い間お宝だったものをご紹介します。 シルバニアファミリーです。 実は、今はもう我が家にはありません。 このページはわたしのアルバム。 幼い娘たちが夢中になって遊んでいた光景を思い出しつつ、 大好きなシルバニアについて記します。

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シルバニア

子供の頃からずっとドールハウスに憧れていました。 当時、日本には 「衣」に重点を置いた着せ替え人形や 「食」に重点を置いたおままごとはありましたが 「住」に重点を置いた遊びはありませんでした。 わたしも実物のドールハウスを見たことはなく、 西洋のお話の中に出てくる記述をそこだけ何度も読み返し、 ドールハウスで遊ぶ自分の姿を思い描いていたものです。

大人になって自分の自由になるお金ができたときには ドールハウスを作ろうかと考えました。 ちょうど日本にもドールハウスが紹介され始めた頃で、 東急ハンズやユザワヤのドールハウスコーナーはわたしのお気に入り。 よく足を運んでは、こんなのを作ろう、あんなのを作ろうと夢見ていました。

けれども、ドールハウスはあまりにも美しく、脆すぎました。 万一壊して失うことを考えると、手に入れる前から怖くてしょうがありませんでした。 そして、自分の目の前で時がドールハウスが古びさせてゆくのを見たくなかった。 憧れが強すぎて、結局ドールハウスを作る夢は夢のままで終わりました。

シルバニア

シルバニアの存在を知ったのは、長女が生まれた頃だったと思います。 夢みたいにかわいらしいそのお人形に惚れこみました。 プラスチックでできた家具は今まで見てきたドールハウスの木製家具に比べると 最初チャチに見えました。 でも子供が遊んでも大丈夫そうなその堅牢性が次第に魅力に思えてきました。

最初のシルバニアを買ったのは、長女が5歳、次女が2歳の頃だったでしょうか。 初めて見た日からずいぶん月日が経っているのは 買おうか買うまいか、ずっと迷っていたからです。 だって一度シルバニアを手にしてしまったら、 あれもこれも、次から次へと際限なく欲しくなりそうで‥。

迷って迷って、でもどうしても欲しくて、 シルバニアで遊んでいる娘たちをどうしても見たくて、ついにクリスマスプレゼントとして買いました。 そして、その後は、予想したとおり。 一つだけでは終わらず、誕生日、クリスマスごとにシルバニアが増えてゆく日々が待っていたのです。

シルバニアの手作りハウス

右の写真は最初の頃のシルバニアです。 当時はまだハウスキットを持っていなかったため、空き箱に布やタオルを張って部屋に見立てました。 空き箱の一辺を切り開いただけなので、手前の床部分を折りたたんでふたをすると、 それだけでお片付け完了。 とても便利でした。

今から思えば、子供のおもちゃとしては、これくらいの量で充分だったのではないかと思います。 娘たちもシルバニアが大好きで、当時はこれでよく遊んでいました。

娘たちに欲しいものを尋ねると、真っ先にシルバニアが挙がる時期がそれから7、8年続きました。 誕生日、クリスマスごとにシルバニアをねだり、わたしは大喜びで買ってやり、 そうこうするうち、狭い我が家はシルバニアだらけになりました。 それでも飽き足らず、いつか広い家に引っ越したら、一部屋まるごとシルバニアの部屋を作るんだ、 と夢見ていました。 白雪姫の柩よろしく大きなガラスのケースを作り、シルバニアの街をまるごと入れて、 360度どこからでも眺められるようにするんだ、と。 本気でした。

シルバニア

けれど皮肉なことに、数が増えてゆくにしたがって、 子供たちはシルバニアで遊ばなくなっていきました。 たぶん、量が増えるにつれ、片付けるのが大変になってきたからだと思います。 それにたくさんありすぎると見ているだけでおなかいっぱいになっちゃうのかもしれません。 シルバニアに限らず、おもちゃには「適量」というものがあるようです。 レゴでもおままごとでも何でも、 おもちゃには子供が楽しく遊ぶのにちょうどいい量というものが確かに存在する。 楽しいと思えるキャパみたいなのがあって、そのキャパを越えてしまうと 子供はそれで遊ばなくなるのです。

また、大きくなるにしたがって、娘たちもお人形をいじくりまわして遊びたいというより、 きれいに保存しておきたい気持ちが勝ってきたのではないかと思います。 シルバニアは、家具やハウスはプラスチックで頑丈に出来ていますが、お人形は泣き所。 フワフワした毛に包まれたお人形はものすごく可愛らしい反面、 あまりいじくりまわすと、そのフワフワな毛が禿げてしまうのです。

自分の手によりかわいいお人形がみすぼらしくなってしまった経験を一度でもすると、 もう怖くて思う存分遊べなくなります。 わたしにしても、シルバニアで遊んでいる姿を見たいと思う一方で、 お人形が汚れるのではないか、古びるのではないかと内心ヒヤヒヤして見ていましたから、 子供たちが遊ばなくなるのも道理です。

シルバニア

子供たちが遊ばなくなっても、それでもシルバニアが私の宝物であることに変わりはありませんでした。 大好きなピーターラビットにもにたお人形さんたち。 シルバニアには夢がいっぱい詰まっていて、 お人形たちが飾りだなの奥で送っている生活は、わたしの夢、わたしの理想でした。 うさぎの母さんは子沢山。 みんな柔らかく編んだおそろいのベビー服を着、フワフワなカーペットの上で転げまわっています。 公園には楽しそうな遊具がたくさんあり、 広いおうちには窓から暖かい光がさんさんと差し込みます。

シルバニア

オシャレに目覚め始めたリスの姉さんは洒落た鏡台の前でお化粧の真っ最中。 うさぎの父さんはパン屋さん。 クラシックなかまどでいいにおいのパンを次から次へと焼き上げる。 うさぎの女の子がお使いにやってきて「全部でおいくらになりますか?」と尋ねます。 通りに自動車ではなく馬車が走り、女の人が長いスカートを履いていた頃の、 わたしが子供のときから憧れて止まなかった古きよきイギリスに似た 永遠のユートピアがそこにありました。

けれども、そのユートピアを維持する管理人は他ならぬわたし自身でした。 屋根の埃を払ったり、倒れちゃったお人形を指でそっと抱き起こしたり。 この子たちを生かすも殺すも、すべてわたし次第。 わたしはこの小世界の神なのです。

シルバニアの棚

わたしに神の荷は重過ぎました。 シルバニアが大好きからこそ、きれいに保ちたい。 でもきれいに保つことにどんな意味があるのでしょう? お人形さんたちが一番生き生きとして見えるのは、日の当たる窓辺に大きな街を作るとき。 けれども長くきれいに保つためには、埃を避け、直射日光を避け、決して触れず、 飾り棚のガラス扉の奥に閉じ込めておくのが一番なのです。 でも、手に触れることもなくガラス扉の向こう側にいるシルバニアは、 ただ写真を見ているのと、どこも変わらないのでした。

それに、どんなに気を使っても、モノは所詮古びるもの。 わたしは古びるのをおそれることに、だんだん疲れてきました。 それでいて、古びてもいいや、とはどうしても開き直れない自分がいました。

娘たちがシルバニアで遊ばなくなって、4年5年経ったでしょうか。 引っ越すことになったとき突然、「シルバニアを手放す」という選択肢の存在に気づきました。 そして迷わず決めました。

シルバニア

新居は広くなるので「シルバニア部屋」の実現は無理としても、飾る場所には困らないはずでした。 それより問題は、新居までの運搬でした。 一つ一つキズがつかないように丁寧にくるんで箱に固定して‥と考えただけで気が遠くなりそうで、 キズがついていやしないかとドキドキしながらそれをまた取り出して、 また古びることに怯える日々を始めるのかと思ったら、 そのまま誰か欲しい人に譲ってしまったほうが良いと思ったのでした。

娘たちがおもちゃで遊ぶのを卒業してしまった今、 もはやわたしにとってシルバニアは思い出の残骸。 そして憧れの残骸。 モノや人が時と共に古びていくのは仕方のないこと。 それを許容できないのは、きっとシルバニアが生きていないからです。 使っていないからです。 生きているもの、使っているものは古びても老いても、それなりに許容していかれるもの。 娘たちが遊んでいた頃は、うちのシルバニアたちも「生きて」いましたが、 ただ飾っておくだけになった今、 シルバニアは我が家にとって、ゆっくりと埃をかぶっていくだけの存在でしかありませんでした。

シルバニア

結局、小分けにしてオークションに出すことにしました。 お人形1体で売りに出すものから、引越し用のダンボール箱にも入りきらないくらいの大きなセットまで、 30以上に分けました。 もともとセットになっていたものはあちこちに散らばった備品をかき集めて元に戻し、 埃をかぶったプラスチックの家具類はよく拭いて、 お人形は毛並みをキズつけないよう注意しながらピンセットで綿ゴミを取り除きました。 娘と二人がかりで作業をしましたが、丸3日かかりました。

更に、気の済むまで写真を撮り、 利点・欠点をチェックしてオークションの商品説明を書きました。 これでまた丸3日かかりました。

シルバニア

幸い、どの子にもどの小物にも、引き取り手が現れました。 廃盤のものばかりだったのでプレミアがついたのでしょう。 保存には気をつかってきたとはいえ、 中古だというのに思ってもみないような高値で落札され、 申し訳ないくらいでした。

買い手のついたセットをそれぞれ中身に見合う大きさの箱を探し、なければ作り、 梱包用のフワフワしたビニールに厳重にくるんで動かないように箱に固定して 出荷するのに更に丸1週間かかりました。 高値で売れたとはいえ、この労力を時給に直して差し引くとチャラになるね、と笑ったものです。

しめて2週間。最後の商品を出荷したあとは、実にすっきりとした気分でした。 不思議と寂しくはなく、大仕事を一つやりとげた達成感と共に、 ただ静かに、「これでわたしにとって、一つの時代が終わったな」と思っただけでした。

シルバニア

かつてうちにいたシルバニアたちは今、日本のあちこちに散らばって、それぞれ大事にされていることでしょう。 コレクターの手に渡り、大事に大事に飾られてる子もいれば、 小さな子の容赦ない手でもみくちゃにされながら遊んでもらっている子もいるでしょう。 いずれにしてもうちにいた頃よりも「生きている」に違いありません。

そしてわたしはといえば、今でもシルバニアが大好きです。 むしろ、戸棚の中でゆっくりと古びていくのをじっと見ていた頃よりも、 管理の重責から解き放たれた今のほうが、 無邪気に「シルバニアが好き!」と言い放てるような気がします。

実物に代わり、今は、撮りためた写真が宝物。 この「好き」は、たぶん一生モノです。

初稿:2007年2月22日

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