英語

恐怖のLL教室

 今を遡ること40年前、高校時代「LL教室」という教科がありました。それ専用の特別教室で各自マイク付きのヘッドホンを耳にあてがい、英語の肯定文を疑問文や否定文に言い換えたり、主語の言い換えを練習する時間でした。

 例えば He is in London. という音声が流れてきたら、 Is he in London? という疑問文に即座に言い換える。She plays tennis. と聞いたら Does she play tennis? と間髪をいれずに言い換える。そういうトレーニングを延々一時間やるものでした。

 これ、わたしは全くダメでした。Is he is in London? とisを二度言ってしまったり、Does she plays tennis?と三単現のsを二度つけてしまったり。しまいにはisとdoを混同し、Is she play tennis?と言ってしまったり、もう無茶苦茶でした。

 こういうゲーム的なトレーニングはもともと嫌いではないので、最初は張り切っていたのですが、もう全く無理。ただ is と he を入れ替えるだけ、does を頭につけて三単元のsを除くだけ。どうしてこんな簡単なことができないのか自分でも不思議でしたが、実際問題、できませんでした。

 課題ができないだけならまだいい。何よりわたしが辛かったのは、うまく言えなくてパニクっていると監督教官の「まじめにおやんなさーい!」という声がオーディオセットを通して飛んでくることです。困りはてて言い淀み、ほんの一瞬黙り込むと「寝てるんですか! 起きなさい!!」と叱られる。頑張ってるのに、一生懸命やってるのに叱られる。向こうは一言叱ってすぐ通信を切るので反論の隙もない。もう毎週この時間が嫌で嫌で、恐怖ですらありました。

 わたしの母校は生徒の自主性を尊重する極めて自由な高校で、制服もない、校則もない、生活指導もない、「放っておいても子は育つ」を地で行く放任主義の学校で、わざわざそういう学校を選んで進学した甲斐あって、わたしは三年間の高校時代を、持ち物検査、服装検査に怯えることなく過ごしました。先生に対しても、思ったことが対等に言える雰囲気。唯一、このLL教室だけが異質でした。

 だからわたしは思っていました。きっとみんなはスラスラ言えるのだろう。監督教官も、まさかこんな簡単なことができない生徒がいるとは思わず、ふざけていると勘違いして叱るのだろう。わたしはよっぽど英語に向いていないのだろうと。英語の成績は特別良くも悪くもなく普通でしたが、こういうことがちゃんとできないと英語を話せるようにならない。わたしには一生無理と諦めました。


 この黒歴史を思い出したのは、最近以下のような文章を読んだからです。

先生が「I am a student. はい、否定文」と言って、生徒が「I am not a student.」と言う、といったドリルをある程度の年齢の方は学校でやらされたと思います。この方式の問題は、生徒は自分がstudentであっても、I am not a studentと言わなければならない、つまり「意味を無視してもできてしまうドリル」を大量にやらせたことです。現在では、意味を理解することが言語習得のカギだということがわかっています。

(中略)

オーディオリンガル教授法の時代は、学習者のデータを見ることなく、言語学、心理学の理論ではこうだから、こうなるはずだ、という仮説に基づいて、教え方に関する仮説をたて、それを検証せずに実行しました。その仮説が事実と勘違いされ、世界中に広がってしまいました。そして仮説をテストしてみたら、うまくいかなかったということです。

白井恭弘「ことば力学――応用言語学への招待」岩波新書 p.65-67

 がーーーん、仮説に基づいて、それを検証せずに実行したんだ・・・。つまり我らがジェネレーションを実験台に検証したわけだ。そしてその結果、この学習法はうまくいかなかった。わたしは叱られ損だったわけです。

 しかし随分と壮大な実験もあったものです。多額の資金を投じ一クラス分の立派なLL教室用機材を揃えたのはおそらくわたしの母校だけではなかったでしょう。わたしの母校はこと設備に関して極めて時代遅れなほうでしたから。きっとどこの公立高校も一斉に同じような機材を導入した違いない。私立にはもっと立派なLL教室があった。当時は学校訪問へ行くと、何を置いてもまずLL教室を自慢げに見せられたものです。

 しかしこの壮大な実験はうまくいかないという結果に終わった。ポジティブに言えば「巨額の資金を投じて試した結果、このメソッドは間違いだと分かった。将来に繋がる極めて有意義な実験であった」ってところでしょうか。

 この方式はわたしだけでなく、多くの英語嫌いを生み出したに違いない。その人類の発展は、多くの者の犠牲の上に成り立つ。わたしは無数の犠牲者の一人だったにすぎない。

 でもわたしの涙も無駄にはすまじ。

 英語教育の発展の陰には悪夢のようなLL教室に涙した者の存在があったことをここに記すことで英語教育史に一資料を提供し、溜飲を下げようと思います。

 チクショーーーーーーーーーーーー!!!

රුවන්වැලි සෑ රදුන්
スリランカの古都アヌラーダプラにあるルワンウェリ・サーヤ大塔。
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