2004年2月23日 花と写真 / バリ旅行記(その20) うさぎ絵に影をつける

オオイヌノフグリ

ここのところ、陽気がどんどん春に近づいています。 花の咲き具合が毎日違うので、毎日デジカメを持って出かけています。 季節の足並みに合わせて撮っていかないと撮りそびれてしまいそうで。

知らない花の名は、家に帰って名前を調べます。 それで、花の名前をたくさん覚えました。

また、知らないはずの花の名をけっこう知っていることにも気付きました。 家へと自転車を漕いでいるうちに、ふと頭の中に浮かんでくる。

「あの花の名前を調べなきゃ調べなきゃ」
「あの青い花の名前、なんていうんだろう?」
「あのオオイヌノフグリの名前、調べなきゃ」
「‥って、あ? なんだ、もう知ってるじゃん!」

‥という具合に。

10年ほど前、近所にカナダ人一家が引っ越してきて、 一緒にピクニックに行ったことがありました。 公園まで歩いて行く途中、家々の植え込みを見ながら花の話をしていったのですが、 そのときも驚いたものです。 柳はウィロー、桜はチェリートゥリー、モクレンはマグノリア、 たんぽぽはダンディーライオン。 知らないはずの名前が次々と脳ミソのヒダの間から発見されることに。
そのとき唯一分からなかったのが水仙で、苦し紛れに「ナルキッソス」と言ったら、 「普通はデシフィルと言うのよ」と教えられました。 それでそれ以来、「デシフィル」という名前も覚えました。

園芸が全くダメで、 かつて友達から「お宅のベンジャミンって落葉樹なの?」 といわれたことのあるうさぎですが、 こうしてみると、けっこうこれで植物好きなのかもしれません。

ウェブで花の名前を調べていると、写真サイトによく出会います。 花の写真を公開しているサイトって、ものすごくたくさんあるんですね。 素晴らしいサイトがいっぱい! わたしのお気に入りフォルダはどんどん膨らむ一方です。

そうした粒よりの写真サイトを見ていると、 いまさら自分が写真を公開する意味などあるのか、と思えることがあります。 でも、同じものを撮っても、その撮り方は一人一人みな違う。 個体の選び方、構図、視点。 写真の技術以前に、何を面白いと思い、何を美しいと思うかで個性が出るので、 わたしも、自分らしさが出せればいいや、と思うことにしました。 まずは、初めて訪れた人にも「この写真は女が撮ったな」と分かるようなら嬉しい。

できれば、写真にこめた被写体への思いが、見ている人に伝わればいいなあと思います。 「上手」と褒められるより、「好き」と言ってもらえる写真集、 「全体」の完成度が高いことより、「一枚」気に入ってもらえる写真がある、 そんな写真集にすることができたら素敵。 もしも、お気に召した写真がありましたら、 掲示板に「これが好き」と書き込んでいただけると嬉しいです。

ちなみに、先日アップした 梅写真集のなかで、 うさぎ自身が一番気に入っているのは 10番目の「清純」、 二番目は11番目の「幼子」で、 きりんの一番は、 7番目の「おきゃん」、 ネネの一番は、 6番目の「清楚」、 チャアの一番は、 9番目の「涙の跡」だそうです。

◆◆◆

【 バリ旅行記20 うさぎ絵に影をつける 】

21日の続き

昨日美術館に絵画教室の予約の電話を入れた時のこと。 名前を告げた途端、それまで事務的だった相手の声が急に親しげに変わった。
「ああ〜、キリウさんね〜! 木彫教室にいらした! 明日はカマサンスタイルの絵画教室? ええ、お待ちしてますねー!」

旅先で何が嬉しいって、こういう瞬間が一番嬉しい。 一度目に会うときは見知らぬ人でも、 二度目に会えば「やあ、また会ったね」、 そして三度目には知己になれる。 プリルキサン美術館に日参したのは正解だった。

そんなわけで、きりんと子供たちは朝からまたプリルキサン美術館に出かけてしまい、 うさぎもお隣りに絵の道具を携えていった。今日は絵に影を入れるのだ。

アウトラインを描いたら、色を入れるより先に墨で陰影をつけるのが、 トラディショナルスタイルの描き方である。 使うのは、日本の書道のと同じような墨。やっぱりここも東洋だ。

陰影は、昨日書き入れたアウトラインに沿ってぼかすように入れてゆく。 墨という素材はとても便利だ。 水に溶けやすいのでぼかしやすく、乾くと耐水性になる。 うさぎは日本人だから、その乾く速度には慣れている。 5号の中筆で適度な水を絵の上に置き、その上に1号の細筆で墨を置いてゆく。 こうすれば、墨は自然にぼけて、墨を塗った部分とそうでない部分に境目ができない。 こういう描き方は昔、漫画を描いていた頃にさんざやったので得意である。

画家の先生たちはしばらくうさぎの手つきを見守っていたが、 どうやら放っておいても大丈夫らしいと判断したらしい、自分の仕事に専念しはじめた。 うさぎがガルーダの影をすっかりつけてしまうと、ダギング先生は 背景の空と湖とに、なんともいえない独特のタッチで雲や波紋をエンピツで描き入れ、 その陰影のつけかたを教えてくれた。 「やけにいい筆だな」 先生はうさぎの筆を取り、それを扱いながらうさぎに尋ねた。 「この筆、いくらした?」

いくらだったかしら?、とうさぎは首をかしげた。 200円? 300円? 500円まではしなかったような気がする。 でも確かにその中国製の筆は素晴らしかった。 苦労せずともピタッと毛先が纏まる。 きっとたまたま良い筆にあたったのだろう。 なかなかこんな筆にはめぐり合えない。

水をひいては墨をのせる。 きれいに仕上げるには、リズミカルに、常に同じ調子で墨をのせていくことが肝要である。 メソッドのはっきりしている仕事は、注意は要するけれど、気は楽だ。 淡々と作業を続けていると、音、におい、空気の温度など、様々な変化を感じる。 かすかな変化を感じて、ほんの一瞬手を止め、目をあげると、様々なものが目に入る。

ときどき、お座敷イヌのジングーがせわしなくやってきては、 ダギング先生の膝に乗って甘える。 先生は作業の手を止め、ジングーをなぜてやっては、おやつのマメを手に乗せて食べさせる。 ジングーが行ってしまうと、ダギング先生はまた作業を再開するのだ。

アラムジワの若い女性スタッフが二人、華やかに笑いながら、通り過ぎていく。 大きなゴミ箱の両端を持って。 ゴミ捨てがそんなに楽しい仕事だろうか。 まるで遠足にやってきたみたいに楽しげだ。

クリンティング氏が絵を描きながら話し始めた。
「わたしらは、若い頃、ネカ氏のところで絵を描いていた仲間なんですよ」
「ネカ氏というのは、ネカ美術館の?」
「そうです。昔は美術館なんてなかった。 父のネカ氏とジュニア、この父子には画商の才があったんですな。 若いアーティストを集め、絵を描かせていた。 それを観光客が見にきて、写真を撮ったり、絵を買ったりするわけですよ。 それでネカ氏親子は巨額の財をなし、美術館を創設したんです」

「ネカ氏のところを離れてのち、わたしはいろんな仕事をするようになりました。 ワイフの事業を手伝って、料理を作ったり、部屋のインテリアを整えたり。 絵はその仕事の合い間に描く程度でね。
彼の方はというと、アルマ(アグンライ美術館)に移り、そこでずっと絵を描いてきました。 あとでアルマに行ってごらんなさい。彼の絵がありますよ」

思えばこのとき初めて、うさぎは クリンティング氏がアラムジワやカフェ・ワヤンのオーナーであると知ったのだった。 そして同時に、ダギング氏が、美術館に絵が飾られるような大家であることも。
まったくマヌケな話である。 毎日ここにやってきていたというのに、今頃になってそんなことに気付くとは。 アラムジワのスタッフがしょっちゅうおやつだの食事だのを運んでくるのを見ていたにも かかわらず、クリンティング氏がオーナーだとは思わなかった。 ダギング先生は、タイからきた注文で絵を描いていた。 海外から絵の注文のくる画家が、世に果してどれだけいることだろう。

おそらく、売れている画家というものは、ホテルのオーナーというものは、 という先入観がうさぎの目を曇らせていたのだろう。 画家先生というのは、アトリエにこもっていつも気難しい顔をしているものだと思っていた。 実業家というのは、背広を着て書斎の立派な椅子にふんぞり返っているものだと思っていた。 まさか、バリの暖かい日差しの下で、 穏やかにおしゃべりしながら、お座敷犬を可愛がりながら、 普段着で絵を描いているとは思わなかったのだ。

ただの田舎町だったウブドは、ここ20年ほどで急速な発展を遂げた。 彼らはその変化の様子をつぶさに見てきたに違いない。 そして、町の発展とともに、それぞれの分野で歩みつづけ、大成したのだ。

昼下がり、この家のクリンティング氏が部屋のなかへ消えたかと思ったら、 ウドゥンを頭にのせて現れた。
「さて、わたしはこれから葬式に行ってくるのでね。失礼しますよ」

わたしがいなくても、ここで絵を描き続けても構いませんよ、とクリティング氏は 言ってくれたが、 ちょうどうさぎも全ての影をつけ終わったところだったので、 今日のところはこれで辞すことにした。 絵をちょっと目から離してみると、どうしてどうして、なかなか絵らしい。 まだ色は入っていないが、すでに水墨画として完成している。 ダギング先生の描いてくださった雲は、まるで中国の仙人が乗る雲のようだ、 とうさぎは思った。

つづく