 
	人とすれ違ったのをきっかけに、うさぎは大声で叫ぶのをやめた。 でも、「桟橋を歩く」以外の仕事を何か作って気を紛らわせないと、まだやっぱり怖い。 うさぎは、ずいぶん先に行ってしまったチャアを呼び寄せ、 二人で喋りながら歩くことにした。
	「ねえ、この桟橋歩くの、怖くない?」
	「別にー」
	「でも、こんなに狭いのに」
	「狭い? どこが? 全然狭くないじゃん」
	「これを狭いと思わないの?」
	「うん。思わない」
	「さっきなんか、後ろから人がママのこと追い抜いていったのよ!」
	「だから何?」
	「怖くない?」
	「どうして?」
	「だってこんなに狭いのに!」
	「だから、全然狭くないじゃんよ」
	「‥そ、そう? でも川にもし落ちたら‥」
	「どうして落ちるの?」
	「うっかり足を踏み外したら‥」
	「踏み外さないって」
	「そうかなー」
	「そうだよ」
	
	そうかー、この桟橋って狭くないのかぁ。足って踏み外さないものなのかぁ。
	チャアと話していると、ほんの少し気がラクになった。
	
	と、前から板をガッタンガッタン踏み鳴らしながら、自転車がやってきた。
	うさぎは脇によけて身を堅くし、
	「どうか自転車に接触して跳ね飛ばされたりしませんように」
	と祈りつつ、やり過ごした。
	やっと自転車がいってしまうと、うさぎはチャアに尋ねた。
	「ねえ、この上で自転車にも乗れる?」と。
	「いや、自転車に乗るのはちょっと怖いかも」とチャアは答えた。
	
とくにどこに行こうという当てもなく、チャアはどんどん好きな道を選んで歩いていった。 うさぎはそれについていった。
アザーンが聞こえてきたので、モスクはどこ?と探すと、 スタート地点にあったはずのモスクが、ずっと遠くの方に見えた。
	しばらく行くと、行き止まりがあった。
	目の前には長い建物があり、門にはカギがかかっている。
	川に面してずらっとならぶ窓からは、人っこ一人見えない。
	「学校かな?」
	「たぶん、学校だよ」
	それ以上進めないので、二人は今来た道を引き返した。
	歩きながらふと見ると、民家の下の川で子供が二人ばかり遊んでいた。
	こっちを指差している。
	うさぎたちは彼らに手をふった。
	すると向こうも手をふり返した。
	
三叉路まで引き返し、また別の道を行くと、そこもまた行き止まりだった。 うさぎたちはまた少し引き返して、別の道に入った。
	川の上にできた迷路のような桟橋。そこにはいろんな発見があった。
	おじいさんがテラスのゆり椅子でうとうとしていたり、
	おばあさんがお米に陽をあてて乾かしていたり。
	どこの国でもどこの街でも、園芸が好きな人は必ずいるもので、
	窓という窓に、花が咲き乱れているお宅もあった。
	そういう人々の日常を垣間見ながら歩いているうちに、うさぎはすこしづつ、
	桟橋を歩くことに慣れてきた。
	それとも、歩くことに慣れてきたから、
	周りを見る余裕が出てきたのだろうか。
	
チャア先導で、なおも歩き続けると、 玄関のポーチで7〜8人の子供が群がって遊んでいる家があった。 うさぎたちがその前を通ると、子どもたちは一斉にこっちを向いた。 ちょっと足を止め、子どもたちに「ハリラヤおめでとう!」とうさぎが言うと、 子どもたちはちょっとビックリして、しーんとなった。 怯えたように目を見開く女の子、 誰かの影に隠れつつ、興味津々な瞳で見つめる小さな坊や‥。
一番大きな男の子が、利発そうな目でにっこりと笑い、 「ハリラヤおめでとう!」と、挨拶を返してよこした。 恐らく彼はリーダーなのだろう、 彼が挨拶をすると、他の皆の表情は急に和らぎ、 後ろに隠れていた子もそうっと前に出てきて、にっこりした。
	と、やにわに玄関のドアが開き、
	中から赤ん坊を抱いた若い女性とその夫らしき男性が出てきた。
	女性の方は、子供たちに二言三言話し掛け、そのうちうさぎに気付いたらしい。
	ふっと口をつぐんだ。
	うさぎが「こんにちは」と挨拶すると、
	彼女は、「二人だけでカンポンアイールを歩いているの?」と尋ね、
	「そうです」と答えると、
	「家の中にどうぞ」と手招きした。