France  南仏コートダジュール

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【 プロローグ 】

何から何まで、いつもとは違う旅だった。 わざわざ航空券の一番高いときに出かけるのも異例なら、 家から約一万キロ離れたバレエ学校まで娘を送り届けるというその目的も、並外れていた。

でもなんといっても、いつもと決定的に違うのは、このメンバーだ。 7月の午後の強烈な日差しがバスターミナルのコンクリートに3つの濃い影を作っている。 すらりとした若い娘と、腹と背中に肉のつきかけたその母親、 それを更にまるっこくしたような、小柄なおばあちゃん。 違った形の3つの影が並んでいる。 女ばかり三代タテに並べたこの顔ぶれは、傍目からどう見えるだろう。 影を眺めつつ、そんなことを思う。

ああそれにしてもなんて熱いんだろう。 日本を出る前に早くも体力を消耗してしまいそうだ。 成田を発つまでのこの時間の長さも異例で、これから一晩、ホテルに泊る。 そんなのは初めての経験だ。

ホテルの送迎バスがやっと来た。 空いている道をしばらく走ると、緑に囲まれた丘の上に、なかなか立派な建物が姿を表した。 あれが成田ビューホテルらしい。

「いらっしゃいませ!」 バスを降りてロビーに入ると、フロント係が一斉にあいさつをした。 名前を告げないうちから、名前入りの書類が用意されたのには驚いた。 値段が安い割に、どうしてどうして、行き届いたホテルではないか。

案内された部屋は、「立派」というにはちょっと無理のある部屋だった。 トイレのドアをあけてままりんが叫ぶ。 「まあ! いまどきウォッシュレットのついていないホテルがあるとは思わなかったわ!」
ネネが言った。 「おばあちゃん、外国のホテルには、ウォッシュレットなんてないからね」

うさぎはスプリングがすっかりダメになったソファに腰をかけ、手紙を書き始めた。 さっき出がけに、お仲人さんの退職祝いにと花を送る手配をしてきたのだが、まだ送り状を出していなかったのだ。

「ママ、時候のあいさつを考えて」とうさぎ。
「そうねえ、まあいろいろあるけど、今の時期だったら、 シンプルに"暑中お見舞い申し上げます"が、気取りがなくていいかもね」とままりん。
「ありがと。じゃあ、それにするわ。『暑中おみまい‥』、と」
「なんで時候のあいさつなんて書くの? なくてもいいじゃん」とネネ。
「馬鹿ねえ、相手はお仲人さんよ。時候のあいさつもなしで、どうするのよ。 だいたいね、こういうことを書かずして、一体何を書くのよ? 便箋が埋まらないじゃないの」
「ああそう、そういう考え方もあるのね」とままりんが噴き出す。

「『暑中お見舞い申し上げます。この度は、ご定年退職おめでとうございます』 ‥おめでとうございます? ママ、退職ってめでたいことだと思う?」
「定年退職は、定年まで勤め上げたってことなんだから、おめでたいでしょう」
「ああそうか、じゃあ『おめでとうございます』と。『また先日は、結構なものを頂戴し、 ありがとうございました。大変ふっくらとした梅干しで、さっそく美味しく頂いております』」
「えっ!!」 ネネが頓狂な声を出した。 「梅干しなんて送ってきてたの?! 知らない! 食べてない!! あたしがモナコからかえってくるまで残ってるかなあ?」

「他に書くことあるかな。‥そうだ、すっかりご無沙汰しちゃってるから、近況でも書こうかな。 えーと、『きりんは相変わらず○○会社に勤務しており、忙しい日々を送っております‥』 『うさぎは‥』」
「ああ、そこは段落を変えてね」
「あ〜、はいはい。‥よし、できたぞ! 『長女のネネは県立高校に進学し、 この夏はモナコへのバレエ短期留学の予定です。』 『二女のチャアも中学に進学し、部活動に夢中です‥』 ‥って、なんか自分たちのことばっかりっぽいような‥」
ままりんが笑い出した。 「そうよ。あなたは自分たちのことばっかり書いて、相手の健康を思いやるとかないわけ?」
「おおそうだ。じゃこの前のあたりに『皆様にはご健勝のこととお慶び申し上げます』を入れて、と」
「そうね。でもそれ、字が間違ってるわ。その『慶』の字、なんか変よ」

ネネが愉快そうに、ままりんとうさぎの顔を見比べている。
「ママだって、手紙ひとつ書くにも、こうやっておばあちゃんにいちいち指導されてるわけよ」とうさぎは言った。
「そうね。だからあたしもママにいろいろ指図されても仕方がないって言いたいのね?」
「そういうこと!」

‥女三代の旅行というのも、なかなか悪くない。

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