France  南仏コートダジュール

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【 食料市 】

ベリー

何度も旅行に出かけるうち、分かってきたことがある。 それは、欲張っていろんな場所に足を伸ばすより、 同じ場所を何度も歩き、同じものを何度も見たほうが、後味が良いということだ。 毎日似たようなものを食べ、毎日似たような日を送る。 限られた日程にあって、同じことを繰り返すのは一見もったいないように思えるが、 結局のところ、そのほうが後々、充実感となって良い印象を残すのだ。

今回の旅はいろんな街に行く予定だったし、途中で宿も変わるので、 何度も歩き、何度も目にする拠点をあらかじめひとつ決めておいた。 ニースのサレヤ広場だ。 ここは毎日日替わりでさまざまな市が開かれる。 食料市、花市、魚市、骨董市。 一つの広場が日によって様変わりするのを見るのも楽しかろう。 何度も足を運んで、「ああ、あそこね」と馴染んだ気分で思い出すのにうってつけだ。

今日は日曜日なので、サレヤ広場では食料市と花市が開かれるはず。 うさぎたちはシャトーエザのレストランで絶景を眺めながらゆっくりと食事をとり、 「朝市」を見に行くにしては少々遅すぎる時間にバスでニースへと向かった。

バスで移動する分には、エズは便利な村だ。 モナコとニースを結ぶバス路線が村のふもとを通っているから。 しかもバス料金の安いこと! たった1.3ユーロでニースに到着とは‥。 ここで昨日のタクシー代を思い出してはいけない。 いけない、いけない。 考えてはいけない。 タクシー代のことなんて。 ‥って、もう考えてるじゃないか。

ニースのバスセンターは、国鉄ニース駅から、1キロ以上も離れた場所にある。 いや、駅のほうがバスセンターから離れた場所にある、といったほうが正しいだろうか。 サレヤ広場やニース海岸など、賑わいの中心に近いのは、駅よりむしろ、バスセンターのほうなのだ。 「街の中心=駅前」という公式が当てはまらないのは、なんだか不思議な気がする。

サレヤ広場は市には充分な広さで、 決して閑散としてはいないが、さりとて不愉快なほど混んでもいない、 ほどよい活況ぶりだった。

食料市でまず目についたのは、きれいに並んだベリー類だ。 イチゴ、ブルーベリー、ラズベリー。 うさぎは早速ラズベリーをひと箱買い、指先を真っ赤に染めて食べながら歩いた。

ままりんは、枝に繋がったまま売られているトマトが気に入ったご様子。 10コも実をつけた枝を、 「あら、安いわ。二つ、三つ買っていこうかしら?」と言うので、ネネが慌てて止めた。 「おばあちゃん、一体いつそんなに食べるの? あたしは明日の朝までしかいないって、分かってる?」
「あらそう? でも一つじゃ足りないわよね?」
「一つだって多すぎるくらいよ〜!」うさぎとネネが唱和した。

市は地元の人の世界、フランスの日常だった。 ここではフランス語でやり取りするのが当たり前。 忙しい商売人は、外人がカタコトのフランス語を操っていることに いちいち感動してくれたりはしない。 異邦人が発するたどたどしい一言一言は商売人の頭の中に吸い取り紙のようにすばやく吸収され、 サイフの中からやっと選び出した小銭は、一瞬で箱に投げ込まれる。 買い物という一大イベントに張り切る異邦人の気合いをよそに、 フランスの日常は実にクールにスピーディに過ぎていく。 そのペースに乗れない自分はひどく場違いのようだ。

だが、一角でまだ若い絵描きが小さなアクリル板に絵を描いている、そこは雰囲気が違った。

彼は指に紫色の絵の具をつけ、板をすばやくなぞり、 次にオレンジ色、黄色をこすりつけた。 すると、美しい夕焼け空ができた。 緑色の絵の具を爪でひっかくように描くと、そこに木が現れた。 まるで魔法を見ているみたいだ。

彼はお客が見ているのを知ると顔をあげ、愛想良く微笑んで 「今なら2枚で10ユーロでいいですよ」と英語で言った。 「どんな絵が好きですか? お好みの絵を描きますよ」。

相手が英語で話しかけているのに、うさぎは気張ってわざわざフランス語で答えた。 「じゃあ紫色のを描いて」。

注文に応じて彼が新しい絵を描き始めると、周りに人がたくさん集まってきた。 みな一様に首にカメラをぶら下げ、英語を喋っている。 隣の女性が絵描きに向けてカメラを構えた。 パナソニックのFZ1だ。 ちょうど持ち主と目が合ったので、うさぎは自分の愛機FZ2を指し、ニッコリしてみた。 「あら、おそろいね」 その返事も英語だった。

買った絵をままりんと一枚づつ分け合ってネネはご満悦。 でも彼女の真のお目当ては、ニース名物の塩クレープ「ソッカ」だった。 サレヤ広場に一つしかないソッカの店はお昼が近いとあって大繁盛で、 長い列ができていた。 ネネは列に並び、自分の番を待った。

順番はなかなか巡ってこなかった。 そもそもここにはソッカを焼く設備などないので、 どこかで焼いたのが運ばれてこないことには話にならない。 直径1メートル以上もある大きな天板に新しいソッカが乗せられてやってくると、 みな今度こそ自分もおこぼれに預かれると思うのか、どよめきの声が上がる。 けれど、スペイン人のようにも見えるソッカ売りの美貌のおばさんが 気前良く大きく切って分けると、大きなソッカは何人分にもならず、アッという間に掃けてしまう。 ネネは新しいソッカが運ばれてくるたびに、期待と失望を繰り返し、それでも辛抱強く待ち続けた。

立って待つのに疲れたままりんとうさぎは、先に水を買ってテーブルについた。 すると、目の前のフランス人夫婦が、自分たちのソッカをどうぞ、と差し出した。

メルシ、と礼をいい、早速お相伴に預かった。 ――しょっぱい。 まさに「塩クレープ」としかいいようのない、素朴な味だ。

前の夫妻がフランス語で話しかけてきた。 「セ・トレビアン?(おいしい?)」
おいしいといえばおいしいし、どうってことないといえば、どうってこともない。 だが「ウイ、トレビアン!」といかにも満足げにうさぎは答えた。 お国の名物を分けてくれた人への社交辞令だ。

夫妻は北フランスのほうからバカンスにやってきたらしい。 パリに住んでいたこともあり、夫婦の片方がこの辺の出身で‥、と奥さんのほうが話し始めた。 話は半分しか分からない。 ‥いや、半分も分かる! すごいじゃないか!

言葉が分かるって素晴らしい。 ここに居場所を確保した、と思った。 自分はここにいていいんだ、と思った。

さっきまで、自分がここにいることに、違和感を感じていた。 東洋人のまるでいないこの広場で、自分たちだけが異邦人のような気がして寂しくて。 そのくせ、観光客だからって英語で甘やかされるのも悔しくて。 だから妙に気張っていた。

でもここへきて、異邦人なのはしょうがない、と開き直れるような気がした。 フランス語がちょっとしか分からないのもしょうがない。 フランス人ではないのだから。

わたしは日本人です。
日本から来ました。
ニースのソッカは美味しいですね。
ここが気に入りました。
どうぞよろしく。

――そういうことで、いいじゃないか。

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