 
	昨日に引き続き、今日も昼前からバードガーデンへ。 何度も同じ所へ行ったり、毎日同じことをしたりするのは、旅先におけるうさぎのスタイルである。 菜々子ちゃんたちにも付き合ってもらい、今日も皆でバードガーデンにやってきた。
今日のバードガーデンに関しては、昨日からの課題を残してもいた。 それは、曜日による違いがあるや否やを見てくることだった。 図らずも、昨日はウィークエンドである日曜日、今日はウィークデイの月曜日。 昨日地下鉄の駅前で行われていた募金活動は、今日は行われていなかったが、 はたしてバードガーデンの様子やいかに?! 今日も昨日と同じように、課税反対の垂れ幕はかかっているのだろうか、 そして鳥自慢のおじさんたちは集っているのだろうか――?
	結論から言うと。
	バードガーデンの様子は昨日とまるっきり変わりはなかった。
	細かいことはまでは分からない。でも、白い布に赤字で書かれた垂れ幕は今日も健在だったし、
	50代ぐらいを中心としたおじさんたちが三々五々集ってなにやら話をしているところも同じだった。
	一体このおじさんたち、ウィークデイだというのに、仕事はどうしているのだろうか。
	まだ年金生活に入るには若すぎるし、
	若いうちから不労所得で暮らせるほど優雅なご身分のようにもお見受けしない。
	さりとて、活動家の抗議集会にしてはのどか過ぎる風情だし、
	失業者にしてものんきすぎるような気も‥。
	ナゾは深まるばかりである。
	
なだらかな上り坂の路地を上った先には、昨日と同じように小鳥や鳥籠を売る店々が並び、 二日目で勝手知ったる子どもたちは、好きに歩き回って賑やかに歌を奏でている小鳥たちをからかい始めた。
	親たちのほうはというと、小鳥よりもむしろ鳥籠に興味を引かれた。
	支那の皇帝がナイチンゲールを飼っていたのは、こんな鳥籠であったかと思わせる
	素晴らしく美しい細工モノの鳥籠。
	それが数千円から、
	高くてもせいぜい2、3万円くらいのお手ごろ価格で並んでいるから堪らない。
	中でも目を引いたのは、ローズウッドで作られたかっちりと折り目正しい感じの鳥籠で、
	「これが一番きれい」ということで、菜々子ちゃんとうさぎの意見は一致し、
	二人して、ほれぼれとその鳥籠を眺めた。
	
	でも、眺めているうちに、うさぎはそれが欲しくなってしまった。
	そして、誰に言うでもなく、大声で怒鳴った。
	「うちには鳥がいないのよ!」
	「それにうちは狭いし。どこに置くの? こんなの、一体」
	「だいたいうちのインテリアに全然合わないじゃないの」
	声に出して言って自分の耳に聞かせてやらないと、つい買ってしまいそうだ。
	
鳥籠が魅力的だったからだけではない。 うさぎはこのバードガーデンの風景に、自分もなにか一つ役割を演じたかった。 何かを買うことによって、それが叶うような気がしてもいた。 でも、鳥もいないのに、まさか大きな鳥籠を買って帰るわけにはいかない。
――そう思ってブラブラしていたら、いいものを見つけた。 エサを刺しておく小さなピックだ。 鳥籠に取り付けられるようになっており、彫刻を施した木の飾りがついている。 ちょっと珍しいものだ。 うさぎは鳥を飼っている友達がいることを思いだし、それを一つ買った。 鳥籠に代わる、小さな小さなおみやげ。 でもこれでうさぎもバードガーデンの立派な"お客さん"。 "ただの通りすがり"から、"お客さん"に昇格した。