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	フラフラと道の方にさまよい出た。
	実は昨夜から気になっているものがある。各棟の前にひとつづつ設えられた緑色の看板である。
	中身はまだよく読んでいなかったが、どうやら棟の名前の由来が書かれてあるらしい。
	
プランテーションベイにある17の宿泊棟と、レストランなどの施設には、それぞれ一風変わった名前がついている。 イグアス、ユカタン、ザンジバル、ザナドゥ、エド、モガンボ、ルリタニア‥。 ナイル、タヒチなど、一目で地名と分かるものから、「なんだそりゃ?」と思うものまで。 いまいちどういうコンセプトで集められたのか、首を傾げるコレクションである。 プランテーションベイの公式サイトでそれらの名を知った時からその由来が気になっていたものだから、 昨夜からこの緑の看板を一つ一つ読むのをうさぎは楽しみにしていた。
最初に読んだ緑の看板は、たった一つしかないVIPルーム"アンダーツリーコテージ"のだった。「木陰のコテージ」。 こればかりはやけに分かりやすい名だと思っていたけれど、 看板によれば、それはかのJ.R.トールキンの「指輪物語」の最後に出てくるホビットの詩に由来するのだそうだ。
	道はどこまでもどこまでも続く
	岩をまたぎ、木陰を通り、
	陽の光射すこともなき洞窟のそばを抜け、
	海など知らぬ小さなせせらぎを横に見て。
	冬の敷き詰めた雪を踏みしめ、
	6月の陽気な花園を通り抜け。
	芝や石を越え、
	月の光降り注ぐ山々をくぐり。
	
	道はどこまでもどこまでも続く
	曇れる日も星降る夜も。
	放浪の末、
	ついに足は遠くのわが家に向かいて。
	石の回廊で火と剣と恐怖をとらえし末、
	ついに目は映さん。
	懐かしき牧場の緑、木々、それに丘を。
	
この看板が面白いのは、こんな叙情的な詩が書かれたあとに、 突然「リゾート一口メモ」みたいなのが書き添えられていることで、
のちのち必ずやここでの暮らしが懐かしくなるでありましょう
という能書きに加え、
お部屋にあるアメニティグッズのご用命は売店まで
という宣伝文句があり、いきなり現実に引き戻されるのであった。
その現実的な一口メモの更に下には、数人分の名前が書き連ねてあったが、別の看板によれば、 これはプランテーションベイの建設に携わった人々の名だという。 プランテーションベイは、アイデアから施工まで、フィリピン人の手だけを使って造られたリゾートなのだそうだ。
	リゾートを一巡りして、看板をあらかた読むと、棟の名のおおよその傾向が分かった。
	そのほとんどはやはり地名なのだ。
	"ジャマイカ"、"タヒチ"、"ユカタン"、"ガラパゴス"などは実際にある地名だが、
	冒険心をくすぐるような場所ばかりを選んでいる。
	「フィリピンにあるのになぜ"フィジー"?」と不思議であったレストランの名も、その一環である。
	うさぎ一家が滞在している"イグアス"は、南米にある"大きさは世界一でないが、美しさは世界一"である滝の名前。
	"エド"は日本の江戸のことで、美しい日本庭園を発展させた功績を讃えてこの古い呼び名が入ったらしい。
	"ルリタニア"というのは映画「ゼンダの虜」に出てくる架空の王国の名、"デューン"はもちろん「惑星デューン」である。
	"ヴァルハラ"はワーグナーのオペラ「ニーベルンゲンの指輪」に出てくる架空の地名。
	"ザナドゥ"は映画の題名として知っていたが、元は幻の楽園の名らしい。これも
	
	そこに滞在することが稀な喜びである点は同じであっても、
	二度と訪れることのできないザナドゥとは違い、
	プランテーションベイには何度でもおいでになれます
	
というリピーターへのいざないで締めくくられているのが心憎い。
ここは7つの海ならぬ、広大なラグーンを囲んだ小宇宙。けれど、完全な世界の縮図ではない。 さりとて、まるっきりのファンタジーワールドでもない。 実際にある地名の中に架空の地名や古い地名がなにくわぬ顔で混じっているところが、 現実世界が少しズレたパラレルワールドのような面白さを醸し出しているのであった。