 
	マラソン大会から帰ってきたのは昼前だった。 それまではさほど疲れているような気がしていなかったのだが、 部屋にたどり着いてた途端、どっと疲れが出て、 みんなさっとシャワーを浴びると、ベッドに伸びてしまった。
一番疲労回復が早かったのは意外にもうさぎで、他の皆ほどに真面目に走らなかったせいか、 3時間も眠ったらすっかり元気になった。 そこでちょうど雨が小降りになったところを見計らって、リゾートの周辺を散歩することにした。
手には傘、首にカメラ。 雨にぬれた花々は美しく、見たことのない木や葉、実もたくさんあった。 あちこちにカメラを向けていたら、作業をしていた職人たちが声をかけてきた。 「おーい、花を撮っているのかい?」
ああ、最終日になってやっと、いつものペースになったな、と思った。 何をするでもなく、ただその辺をウロウロし、ほんのちょっとした偶然の出会いに喜ぶ。 それがいつもの過ごし方だ。 なのにやれやれ、今回の旅はなんと忙しかったことだろう‥!
幸運なことに、建築現場にも、鉄筋と木造、両方出くわした。 鉄筋の施工に変わったところは特になかったが、木造のほうは、基礎が日本とは違っていた。 ブロック塀をコンクリで固めてかなり高く積むのだ。 半分できかけた家の脇には放し飼いのワンちゃんたちがいた。 この国の犬はまったくおとなしい。 ちっともほえたりしない。
周辺を一巡りしてホテルに戻ってきた頃には、雨はすっかり上がっていて、陽が出ていた。 部屋に帰ってみると、ほかの皆も起きだし、 「ママがいない、どこへ行ったんだ?!」と大騒ぎしていた。 やあねえ、ちょっと散歩に行って来る、と言い置いていったじゃないの。 一人や二人、返事をしたように思ったけれど、実は全然聞いていなかったのね。
全員揃ったところで、皆は荷造りを始めた。 もう今晩、日本に帰るのか。 また着いたばかりのような気がするのに。
見回した部屋は、まだどこかよそよそしかった。 うさぎはスケジュール表を取り出して日数を数えてみた。 1、2、3、4、5泊。確かにここに5泊したはずなのに、まだ部屋に馴染んでいない。 外に出かけてばかりいて、あまり部屋で過ごさなかったせいだろうか。
	用事を済ませにレセプションに行くと、ジニーが帰り支度をしていた。
	「あら、今日はもう帰っちゃうの?」うさぎが残念そうに尋ねると、ジニーは答えた。
	「あら、心配しないで。大丈夫、あとでまた帰ってくるわ。
	あなたを空港までお見送りにね」
	
その言葉はうさぎを感動させた。 運転手さえいれば用は足りるのに、 レセプショニストがわざわざゲストを空港まで見送るとは、 なんてハートフルなリゾートだろう‥!
	レセプションの前のポーチでは、西洋人の男性がばかでかいスーツケースを開き、
	あれやこれやを詰めていた。
	「今日帰るんです」うさぎと目が会うと、彼はニッコリして言った。
	「あら、私もですよ。どちらへお帰りですか?」
	「ロンドンです」
	「それはまた遠いですねえ! 直行便なんてありませんでしょ?」
	「ええ、出ていません。だからまずグアムに飛んで、それから東京経由で帰るんですよ」
	「あら、それじゃあわたしたちと一緒の便ですね。
	でも、飛行機が飛ぶのは真夜中ですよね。なのにずいぶん早くチェックアウトなさったんですね。
	‥ああ、そうか! レイトチェックアウトを選択なさらなかったんですね」
	「そうです。荷物を詰め終わったら、PPRに夕食を食べに行こうと思っています。
	そのまま出発までそこで過ごすつもりです」
	「そうですか、じゃあ、またあとでお会いできますね」
	「そうですね。では、またあとで」
	
夕食‥。 そろそろそんな時間か。 わたしたちも夕飯をどうするか、考えなくっちゃ。
夕食は結局、近くのイメージレストランというアメリカ料理の店でとることにした。 さっき散歩のとき立て札を見かけたから、場所は分かっている。 歩いて5分くらいのところだ。
ところが、きりんがそこまで「どうしても車で行く」と言い張るので驚いた。 雨が降っていたということもあるが、なぜたった5分の距離を車で‥? この間、バーベキューレストランに行った時、犬がついてきたのが原因だろうか。 うさぎのほうは、犬にはもうすっかり、慣れてしまったが。
◆◆◆
さあ、夕食のあとは、いよいよ帰国だ。 チェックアウトを済ませ、ジニーの待つ車に乗り込んだ。
今日のジニーはおしゃべりだ。 車の中で、うさぎにいろいろ話しかけてきた。
	「いいわね、お嬢さんがお二人連れて、みんなで旅行だなんて。
	実はね、わたしにも3人娘がいるのよ。
	もう大きいの。一人はアメリカの大学へ行っててね、
	一人はグアムのハイスクールに行ってる。
	寂しいわ」
	「あなたは、パラワン?」
	「いいえ、違いますとも。フィリピン人よ」ジニーは誇りをあらわにして言った。
	「道理で。パラワンにしては、やけに大きな目だと思ったわ」うさぎは笑ったが、
	ふとピンときた。
	彼女はフィリピン人、そして、娘を二人留学させられるほど裕福ときてる。
	ひょっとして、彼女はただのレセプショニストではないかもしれない。
	例の犬を連れた彼の夫人、つまりオーナー夫人と考えると、つじつまが合うぞ。
	
	うさぎの詮索をよそに、ジニーは言った。
	「ウサギ、あなたのご職業は何? 英語の先生?」
	「いいえ‥!」うさぎは驚いて答えた。このむちゃくちゃな英語で、先生だとお??
	日本の英語教育も、ずいぶん舐められたものだ。
	「でも、あなたは日本人なのに、英語が話せるから‥」
	「ははは、ほんのちょっとね」
	ジニーは敢えてそれを否定せず、こういった。
	「いいのよ、それで。わたしはあなたの言うことを理解できる。それで充分。
	でもふつう日本人は全然英語を話そうとしない」
	「ふうん‥。キャロラインリゾートに日本人ゲストはよく来るの?」
	「ええ、時々ね。ほら、イギリス人の彼と一緒に来ている人、彼女も日本人よ」
	「‥エッ!!」
	
ジニーの言う「イギリス人の彼」というのは、さっきポーチで荷物を詰めていた彼のことだ。 その彼が連れていた彼女は、日本人だったのか〜! 彼女とはなんどもすれ違ったけれど、 日本語で喋っているうさぎたちに何も話しかけてはこなかったから、 日本人ではないと思っていた。
	そうこうするうち、車はPPRに到着し、今話題にしたばかりのイギリス人・日本人カップルが乗り込んできた。
	「今、ジニーから聞いたんですけれど、あなた、日本人でらしたんですねー」
	うさぎは早速彼女に日本語で話しかけた。
	「あ、ハイ、そうです〜」と、日本語が帰ってきた。
	
	「今日の昼間は何をなさいました?」うさぎは彼女に尋ねた。ああ、日本語って本当にラク〜♪
	「カヤックツアーに行きました」
	「カヤック? うちも2回行きましたよ。スプラッシュのと、インパックのと。
	どちらのツアーに行かれたんですか?」
	「あ、いえ、わたしたちはサムツアーのです」
	「あ、そうか、ご主人がイギリス人でらっしゃるものね」
	「イエ、結婚はしてませんけど」
	「あ、そうですか」うさぎは汗をぬぐった。
	
	「でも、このカヤックツアーが信じられなくて〜!」と彼女は突然おしゃべりになった。
	彼女のほうこそ日本語に飢えていたのかもしれない。
	「3時間、4時間、ずっとカヤックを漕いでるんですよ!!
	お昼休みが一回入るだけで、あとはずっとカヤック漕ぎっぱなし!!
	もう、すっごい疲れましたよ。
	信じられない!	よくみんな文句言わずに漕いでるよ、と思って」
	「3、4時間‥ですか? 確かにそれはすごいかも〜!
	日本人向けのカヤックツアーは1時間かせいぜい1時間半ですよ。
	でも欧米の方はタフだから」
	「‥にしたって、信じられないですよ! もうホント、疲れた〜!
	わたしたちはこの休暇中ずっとダイビングばっかりやってたんですけど、
	最後の日、飛行機に乗る前だけは、ダイビングができないでしょ?
	だからカヤックツアーに参加したんですけど、もうクッタクタ!」
	
最終日はダイビングができない‥? そうか、それで、ダイブショップのスプラッシュになぜかカヤックツアーがあり、 ダイバー夫妻がそれに参加していたのね。
それにしても、サムツアーのカヤックツアーかあ。 ちょっと参加してみたかったような気もする。 スプラッシュのカヤックツアーは自然観察で、インパックのカヤックツアーは観光だったけれど、 サムツアーのそれはたぶん‥スポーツなのだ!!