Sudan  首都ハルツーム

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【 エピローグ 】

スーダン旅行記は、短いけれど、これで終わりです。 旅行記に纏めるのを1年半サボっていたら、記録しておいたこと以外、 詳細をすっかり忘れてしまったので。 もし何か思い出したら、また書きます。

スーダンを訪れる前、「スーダン」と聞いて思い浮かぶのは、貧しい国のイメージでした。 実際、1990年のスーダンの一人当たりのGDPは世界最下位。 年々着々と順位を上げてきてはいるものの、今なお、下から数えたほうが早いのは確かです。

だから思っていました。 日本に来ているわたしの知り合いのスーダン人はみな、 国に帰ればごく一部の特権階級なのだろう、と。 けれど、実際はそうではありませんでした。 確かに、割と裕福なほうではあると思いますが、 突出した金持ちでも特権階級でもなく、中産階級くらいの感じで、 特に目立つ存在ではありませんでした。

逆に、それほど貧しい人も見ませんでした。 乞食やホームレスはついぞ見かけませんでした。 木陰に木箱ひとつ置いて営業している小さなお茶屋さんや 露天商はよくいましたが、みな真面目にのんびり営業している。 物乞いのおねだり攻勢や、物売りのしつこさとは無縁な街でした。 どんなに小さく粗末な店でも、おつりをちょろまかされたりもしない。

「とにかく人がいい」というのが、わたしのスーダンの印象です。 フレンドリーで親切。だけど、しつこくない。 道を尋ねると、目的地まで連れて行ってくれるほど親切。 でも目的地に着くと、スマートにさっと立去っていくのです。

見知らぬ人がバス代を払ってくれたり、飲み物を買ってくれたりしたこともあります。 電気もひいていない小さな店でコーヒーをご馳走になったことも。

「窮すれば濫す」と言いますが、逆に、 人に親切にする余裕があるということは、経済的にもそれほど窮していないのではないでしょうか。 数字はどうあれ、実際の生活のクオリティは低くないのでは、と思えます。

わたしがお世話になった家庭には、エチオピア人の若いお手伝いさんがいました。 15歳の彼女も、日本の同年齢の女の子たち同様、携帯電話を持っていました。 真面目に働きさえすれば、若い出稼ぎの少女ですら、 ちゃんと食べていかれて、欲しいものが手に入れられる。

道の舗装率はきわめて低い。 電気が通じていない場所も多い。 でも水道の蛇口からは安全に飲める水が出てきて、 野菜はおいしく、市場では品物が選び放題。 何を豊かさの指標とするかで、見方は変わってきます。

街には厳戒態勢が敷かれていて、夜の12時以降は外出禁止令が出ていると聞けば不安になりますが、 実際は、宵っ張りなこの街、パーティは午前0時過ぎまで続き、 家の前でぼんやり夕涼みしている人の姿が目につきました。 データからは窺い知れない街の様子です。

今回わたしが見たのは、ハルツームとオンドルマン、つまりスーダンの首都圏地域のみです。 だから他の地域がどんな状態なのかは知りません。 ニュースで見るように、おそらく悲惨な地域もあるでしょう。

でも、わたしが見た平和な首都の姿もまた、スーダンのひとつの側面なのだと思っています。

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