 
	日本への帰路もシンガポール経由だった。 お昼ごろにブルネイを発ち、シンガポール到着は2時半ごろ。 成田行きは深夜発だから、トランジットタイムは9時間もある。
なので、当初の予定では、シンガポールに一度入国し、 ラッフルズのハイティでも楽しんでくるつもりだった。 シンガポールでもハリラヤのイルミネーションが飾られる地区があるとも聞いていたから、 それを見に行くのもいいな、と思っていた。 市内まで行く段取りもちゃんと考えてきた。
	だけど。
	シンガポールに向う飛行機の中で、うさぎはふと思った。
	
	このままシンガポールには入国せず、
	ブルネイの思い出で締めくくって日本に帰りたいな
	
	と。
	うさぎは、そういう自分の考えに、どきどきした。
	異国を歩くせっかくのチャンスを、みすみす逃すだなんて‥!
	
	すごく勿体ない気がした。
	バカみたいだと思った。
	だけど、今のうさぎにとって、ブルネイでの思い出はものすごく大事だった。
	そして、シンガポールの街を歩いたら、
	この大事な思い出が薄れてしまうような気がしたのだ。
	
どうしよう‥。 うさぎは、自分の気が変わらぬうちに決めてしまいたくなった。
"シンガポールには入国しない"
と。 シンガポールに着いたら、また気が変わってしまうかもしれない。 でも、気を変えたくはなかったのだ。
	うさぎは恐る恐る、隣りに座っているネネに言った。
	「ねえ、どう思う?
	シンガポールに入国せず、トランジットホテルで過ごす、っていうのは」
	あーあ、言っちゃった。
	一度口に出してしまえば引き返せなくなる。
	
	「えっ!」ネネはびっくりしたような顔をした。
	「いいねえ、それ! ぜひそうしよう!」
	ネネは絶対そう言うと思った。そう言うと思ったから、ネネにもちかけたのだ。
	「だけど、ママの口からそういうセリフが出るなんて意外だわ。泣かせるわねー」
	とネネは言った。
	
	飛行機を降りてから、きりんにも伝えると、彼もこのアイデアに大賛成だった。
	「ほんとは入国するのは嫌だったんだ。ずっと空港にいないと、成田便に乗り遅れそうで。
	だけどママがハイティに行きたいって言ってたから、しょうがないかな、って思ってたんだ」
	と彼は言った。
	
◆◆◆
	昼間だから空いているはずという予想は外れ、意外にもトランジットホテルは満室だった。
	「空きが出るまでにどれくらいかかりますか?」とフロントで尋ねると、
	「1時間くらいでしょうか」という答えが返ってきた。
	その一時間を、うさぎたちはロビーで待つことにした。
	
ようやく部屋に入ると、きりんはすぐに寝入ってしまい、 うさぎは子どもたちに誘われてトランプを始めた。 「なにも異国でこんな過ごし方をしなくても――」 うさぎは、シンガポールに入国しなかったことをチラリと後悔した。 ブルネイはすでに遠く、その印象にはすでにうっすらと霞みがかかっているようだった。 どのみちブルネイの鮮烈なイメージを、そのまま日本に持って帰れないのなら、 やはりシンガポールで有意義な過ごし方をすべきだったのかもしれない。
だけどそんなとき、部屋の中に良いものを見つけた。 "キブラ"、回教徒に聖地メッカの方角を教える矢印だ。 行きには気付かなかったその矢印は、お茶のセットが置かれた机の上にあった。 それはただ机の上に貼り付けられた紙の矢印にすぎなかったけれど、確かにキブラだった。 この矢印の延長線上にメッカがあるのだ。
	この部屋の中では、キブラだけが方角を示す唯一のものだった。
	窓のないトランジットホテルの部屋の中には、北も南もない。東も西もない。
	どちらの側から陽が昇るわけでも沈むわけでもない。
	そんな中で、唯一キブラだけが、メッカの方角を指し示していた。
	うさぎはキブラの指し示す方角に向って立ち、そっと自分の右脇を振り返ってみた。
	メッカが真っ直ぐ前の方角にあるとすれば、ブルネイは右後ろあたりにあるはずだ。
	
そんなことをしていたら、頭の中に突然、 メッカを上にして斜めに傾いだ世界地図が現われた。 そして、その上で、世界中のイスラム教徒が、 メッカに向って祈りをささげているイメージが浮かんだ。
	みな同じ方角を向いて祈るんじゃない。
	みなで向き合って祈るんだ!
	
突然、そのことに気付いた。 シンガポールでメッカに向って祈る人は、 ヨーロッパから祈りをささげる人と、向き合う形になる。 四方八方、はるか何千キロもの彼方から、何億人もの人々が、メッカを中心に、 車座になって祈るのだ。
	ああ、なんという壮大さだろう!
	こんな習慣があったら、当然世界観も変わってくるに違いない。
	いましがた行って帰ってきたブルネイという国は、
	そういう世界観をもった人々の国であったのだ。
	この窓のないホテルがそれを気付かせてくれた。
	
そしてうさぎは、シンガポールに入国しなかった後悔から解放されたのだった。