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	「料理が売り切れないうちに、早めにアトリウムカフェに行こうね」
	と昨夜から計画していたのに、
	どうやら今日は週末とあって、他の客の出足も早かったらしい、
	8時すぎにアトリウムカフェについたときにはすでに、
	料理のコンテナはすっからかんだった。
	
がっかりする子どもたち。 でも4日目ともなると、だいぶここでの要領も分かってきていて、 どうしても食べたいものがあれば、作ってもらうことができると知っている。 たかが4日、されど4日だ。
	アンディが、何時にここを発つのかと訊いてきた。
	彼はうさぎたちが今日発つことを覚えていたのだ。
	ブルネイに来た日の夜、ここに4日間滞在すると、一度言ったっきりなのに。
	でも、きっと彼は覚えているだろうとは思っていた。
	イマーンなどは毎日プールサイドで会うたびに、「いつまでいるの?」と聞いてきたけれど、
	アンディはきっと覚えているに違いない、と。
	
いつもはあまりおしゃべりでない彼が、今日はちょっと人懐こく、 仕事をひとつ終えてはうさぎたちの脇にやってきて、 また一仕事しにいっては帰ってくるといったふうに、 なんとなく物言いたげな風情で、側にいた。
	そういえば、毎日ここで彼と顔をあわせていたのに、彼がどこの国の人かも尋ねていなかった。	うさぎはそれに気付き、彼に初めてそれを尋ねた。
	彼は、インドネシア人であること、
	出身はボロブドール遺跡のそばのジョグジャカルタです、と教えてくれた。
	エンパイアに勤務する前はビンタンのリゾートにいたらしく、
	そこからエンパイアに移ってきたのだそうだ。
	「ブルネイの観光の歴史は浅く、ブルネイ人は観光業について何も知りません。
	だからここにインドネシア人、フィリピン人、タイ人など、観光業に精通した国の
	スタッフが集められたのです」と彼は言った。
	彼によれば、エンパイアに限らず、ブルネイは全体的に外国籍の労働者が多いそうで、
	その数は20数万人に上るという。
	それが本当なら、ブルネイの人口は35万人程度だから、すごい比率だ。
	3人に1人以上が外国人労働者という勘定になる。
	
	ブルネイは治安がよく、働くにはとても良い環境だと彼は言った。物価も安い。
	「ジャカルタで一箱○○ルピアもするペプシがここでは△ドルだもの‥」と言われても、
	うさぎにはどっちが高いのやら安いのやら、よく分からないけれど、
	金持ちの国だから物価が高いと思いきや、案外安いと思ったのはうさぎも同じだ。
	
アンディがしばらく話し込んで、また仕事をしに行ってしまうと、 こんどはデニスがやってきて、「いつ日本に帰るのか」と尋ねた。 デニスには出発の日を話してなかったな、と思い、 「今日のお昼過ぎよ」と言うと、 彼はすでに知っていたようで、驚いた風もなく「そう、寂しいな」とつぶやいた。
	「ブルネイはホントに平和で働きやすい国だよ」とデニスは言った。
	「日本にも行きたいけど、怖くって」
	「エッ、どうして?!」
	うさぎはびっくりして思わず尋ねた。
	マニラ育ちに「日本は怖い」と言われては‥。
	
	彼はちょっと決まり悪そうな顔になって、
	「あ、これはただ友達に聞いただけなんだけどね‥」と切り出した。
	「日本で働くと、元締めにこっぴどくやられるんだってさ」
	うさぎはなんだか申し訳ないような気持ちになった。
	さもありなん、
	フィリピーノの上前をはねる悪質なヤクザの存在なんて、いかにもありそうな話だ。
	がっかりが顔に出たうさぎを見て、デニスは付け加えた。
	「あ、でも観光で行くには日本はいい国だよね!
	いつかきっと日本には行ってみたいと思ってるんだ」
	
「‥ところで、日本までの航空券って、いくら?」
	うさぎは思わず吹き出した。
	ブルネイで航空券の価格を聞かれたのはこれで2度目だ。
	「ブルネイドルで100ドルはしないと思うわ」と答えると、彼は頭の中でそろばんを
	はじきはじめたらしく、しばらくして言った。
	「ふーん、往復でその値段なら悪くはないな」と。
	
皆が食事を終えたので、さあ、そろそろ最後の魚のえさやりに行こうかと思い、 アンディの姿を探した。 すると、彼はちょうどこっちにやってくるところで、 その手にはちゃんと、パンの包みが握られていた。