 
	
	成田からフィジーへの直行便は週に2便しかない。
	月曜日または木曜日の夜に日本を発ち、
	翌朝早くナンディ国際空港に到着するエア・パシフィックの便が唯一である。
	今はオフシーズンの6月だから、きっと空いているに違いないという予想を裏切って、
	256人乗りのB767-300機は日本人観光客でほぼ満席。
	目新しかったのは搭乗手順で、ビジネスクラスの優先搭乗に続いて、
	エコノミークラスでも後ろの方の座席の人が搭乗口に呼び集められた。
	なるほど、後部座席から詰めていくので通路が混まず、搭乗はいつもよりずっとスムーズだった。
	
	座席に着くと、大女のスチュワーデスが回ってきて、「ブラ〜」(フィジー語で『こんにちは』)
	と気だるそうに言った。
	天井に頭がつきそうな長身で、肩が男性のようにがっしりとした、堂々たる体つき。
	フワフワのアフロヘアは長さが揃って上向きにびっしりと生えており、肌は褐色だ。
	もともと険しいその顔はにこりともせず、スチュワーデス特有の華やかさやスマートな雰囲気はない。
	あたかも市場を物色しているただのオバサンといった風情である。
	他のスッチーたちは、一人の日本人乗務員を含め、みな若くて華奢で洗練された、国際基準の(?)
	ごく普通のスチュワーデスだったので、うさぎはもっぱら『ブラおばさん』を眺め、
	早くもフィジー気分に浸ることにした。
	
	飛行機が安定飛行に入り、空席はないかと辺りを見回すと、なんとすぐ後ろの座席が空いていた。
	ラッキー、とばかりに席を移動すると、なんだか魚臭い。
	そこに『ブラおばさん』がやってきて、無表情に英語でこう言った。
	「ここはクルーレスト(乗務員の休憩場所)ですよ」。
	そして、その座席を囲むように設えてあるカーテンを、うさぎに構わず閉めはじめた。
	「あら、ごめんなさい」とうさぎは謝り、元の座席に戻ったが、おばさんはニコリともしない。
	いやはや、素朴なお方である。最低限の言葉、最低限の動作。
	「ぶっきらぼう」という表現がぴったりな、その飾り気のなさ――
	思えばこれがフィジアンとのファースト・コンタクトであった。
	
	それはさておき。エア・パシフィックのサービスは一つ一つ良く考えられていた。
	座席に着くと、ハブラシ、アイマスク、スリーピングソックスのセットが配られ、子供たちには更にリュックと、
	ワークブックや色鉛筆などのセットが配られた。
	リュックはかっちりとできていて使えそうだし、
	ワークブックセットに入っていた小さな絵本にはフィジーの伝説が載っており、
	ただの退屈凌ぎに終わらない内容である。
	更に、このセットにはハガキが入っていて、それに住所・氏名など必要事項を書き込んでクルーに渡すと、
	親子3人分のフィジーまでの往復搭乗券が当たる(当たるといいな〜)。
	エア・パシフィックに限らず、フィジーでは子供が大事にされているらしく、
	機内放送も「レディース・アンド・ジェントルマン」に加えて「アンド・チルドレン」で始まった。
	これも子連れにはちょっと嬉しい配慮である。
	
	おつまみはフィジー独自のもの。
	豆の粉を揚げた「ベビースターラーメン」状のスナック(SAO)にレーズンやナッツをミックスしたもので、
	元はインドのお菓子らしい。初めてにしては食べやすく、美味しかった。
	飲み物で特筆すべきはトマトジュース。セロリのスティックとレモンの輪切りが入っていて、大変美味しい。
	普段はトマトジュースなんて飲まないのに、これにはハマってしまい、機内にいるあいだ中、
	「お飲み物は」と聞かれると、こればかり頼み続けた。
	
	チャイルドミールがこれまた良い。大人の機内食に先駆けた早い時間に配られたその内容には子供たちが大喜びした。
	フライドポテト、ハンバーガー、フルーツに加え、クッキーがぎっしり詰まった袋が付いてきたからだ。
	だが、残念なことに、ここでハプニング。
	二つ頼んだチャイルドミールが一つしか来ないと思ったら、美人のスッチーが、
	「チャイルドミールが一つしかありません」と言いにきた。
	リクエストはちゃんと二つ分上げ、その確認もしたことを話し、理由を尋ねると、
	「すみません、どうやら飛行機に乗せ忘れたようです」とのこと。これには子供たちががっかりしてしまった。
	チャイルドミールには座席番号を書いた紙を付け、間違えのないように配慮がしてあったので、
	本当は飛行機への乗せ忘れではなく、リクエストしていない子供にうっかり渡してしまったのではないか、
	とうさぎは睨んでいる。
	クッキーを見つけた小さな子に泣かれでもして、
	数が足りなくなると分かっていても渡さざるを得なかったのかもしれない。
	
	大人の機内食のメニューは、和食のチキンと洋食のフィッシュからの選択で、
	どちらにもナマスとお蕎麦が付いていた。
	チキンに付いてきた香りご飯がおいしいのにはちょっとびっくり。
	JALのご飯なんかよりずっと美味しいではないか。
	お蕎麦にはコシがあり、これまた感心。
	ビターチョコを敷き込んだチョコレートケーキもおいしかったので、全部ぺろりと平らげた。
	うさぎが機内食を全部食べるなんて、珍しいのだけれど。
	
	機内食を食べおえた9時頃、映画が始まった。"102 Dalmatian" (102匹ワンちゃん) 。
	ちょうど今日本でも公開中の映画だ。きりんは子供たちに
	「ほら、ワンちゃんの映画だよ〜」と勧めていたが、うさぎは子供たちに眠るように言い、自分も目を瞑った。
	明日のナンディ到着は日本時間で朝の3時半。今眠らなくて何時眠る?
	
夜中の2時、フィジー時刻で朝の5時近くになると、二度目の機内食がサービスされた。 こんどはチャイルドミールを二つ受け取れたので内容に期待が膨らんだが、クッキーはなく、 料理もあまり美味しそうではなかったので、子供たちを起こさずに眠らせておいた。 大人の機内食は菓子パンが二つにフルーツ。お腹が空いていたので、こっちは有り難く頂いた。
	機内食が終わってしばらくすると、
	「これから降下を開始するから、席に着いてベルトを締めるように」という機長直々の指示が放送で入り、
	飛行機は早くも高度を落としはじめた。多少の気流の乱れなどモノともせず、ぐんぐん高度を下げていく。
	パイロットの強気が乗客の体に伝わってくるような、強引で確信に満ちた降り方だ。
	
	眼下一面に綿の海の如く広がっていた雲の切れ目に飛行機が突っ込むと、平たい雲の断面が横一直線になり、
	天界と下界を切り分けた。
	そのまま高度を落としていくかと思いきや、ふいにベルト着用のサインが消え、
	飛行機はそのまま雲の高さに高度を保ちながら、雲の切れ目を縫うように飛んだ。
	雲の上面は朝日を反射して眩しく光り、下面はグレーだ。海はブルーグレーに沈み、そこに真っ黒な島が浮かんでいる。
	
	外の不思議な景色に見とれていると、ふと、前の席のチャアがグズグズと泣く声に気がついた。
	席を立って「どうしたの?」と声を掛けると、「耳が痛い」と言う。
	頭にひらめくものがあり、額に手を当てると、熱い。明らかに熱がある。
	きっと肌寒い機内で眠り、体調を崩したのだろう。
	他の3人はズボンを履いてきたのに、チャアにだけはミニスカートを履かせてきたのがまずかった。
	行き先が南国なので、つい油断したのだ。
	
ネネに席を代わってもらってチャアの隣に座り、「もう少しで空港に着くからね」と励ました。 こんなに高度が低いのだから、あとほんの数分で空港に到着するはずだ。
	ところが。飛行機は雲と平走するばかりでそれ以上高度を落とさず、空港のあるビチレブ島の陸地も、
	待てど暮らせど見えてはこない。
	夜は次第に明けてきて外の景色はえも言われぬ美しさになってきた。
	
	長い低空飛行の末、ようやくビチレブ島本土に差しかかると、眼下には鮮やかな緑の大地が広がった。
	尚もエア・パシフィック機は低い空を飛びつづける。
	まるで「フィジーの美しい景色をじっくり見ろ」とでも言うように。
	そして、うさぎはチャアの容体が気にかかりながらも、つい外の景色に見とれてしまうのだった。
	早く空港に到着して欲しいと願いつつ、その一方でいつまでもこの景色を眺めていたい――
	そんな気分になるほどに、その景色は美しかった。