2003年4月18日 お葬式

今日はお葬式に行ってきました。
父の姉の連れ合いにあたる伯父の葬式でした。

父は10人兄弟。幼くして病で逝った一人を除くと、 あとの9人は戦時にあって一人も欠けることなく長じ、子孫を残しました。
血の繋がった9人のおじ・おば、その連れ合い、そしてたくさんの従兄弟たち‥。
うさぎが子どもの頃の父方の親戚の集まりは、それはそれは賑やかでした。
けれど、うさぎたちの世代もそれぞれ巣立ち、ここ20年ほどはこうした弔事でもなければ おじやおば、従兄弟たちと会う機会もなくなりました。

「会うときはお互いいつも喪服姿ね」
告別式の開始を待っている間、久しぶりに会った従姉と言い合いました。
そう、彼女はいつも黒い服。 最後に会ったのは昨年別のおじが逝ったとき、 その前に出会ったのは、一昨年のおばの葬式でしたっけ。
「喪服じゃなく、宝塚のような衣装を着てるうさぎちゃんをまた見てみたいわ」と彼女。
「‥宝塚? 一体なんの話?」と尋ねると、
「結婚式のお色直しに着ていたドレスのことよ」
「あらやだ、そうそう何度も結婚するもんですか」と言い返しましたが、本当に、 それくらいしか彼女とわたしは会ってないのです。

「葬儀の席というのは、故人が最後に皆にプレセントしてくれる出会いの席だ」と 母が言っていたことがあります。 確かにその通り、一人とは永遠に会えなくなる代わりに、 残りの皆が会う機会が生まれるのです。

そして、葬儀の席は、自分の死を覚悟する席。
一人また一人とおじやおばが逝くたびに、 父や母がすこしづつ死への覚悟を決めていくのが分かります。 自分の番はあとどれくらいでくるのだろうと、死との距離を測っているのが窺える。
7年ほど前に祖母が逝って一週間ほど経ったころ、 「次はついにわたしたちの番だわ」と言った母。 その日から、母たちの"順番待ち"は始まったのです。

念仏を唱えるお坊さまを挟んで向かい側は、親戚以外の参列者の席でした。 旧制高校時代の同窓生、旧帝大の同窓生、そして企業戦士時代の同輩たち‥。 83歳で逝った故人の友人はおしなべて銀色の髪をしていました。
お焼香が終わると、一人が代表で追悼の辞を読み上げ、
「高校の同窓30名も、もはや残るところ10名となり、 皆で声を揃えて寮歌で君を送ることも叶わない」と嘆きました。 きっとこちらの方々も、一人また一人と歯が抜け落ちるように減っていく同窓生の数を 数えては、己の"順番待ち"を意識しているのでしょう。
若くして逝き、同窓生の寮歌で送られるのが幸せか、 長生きをして、最後の一人となるのが幸せなのか――。 まだまだ元気な父と母、そしておじやおばに守られて、 まだ"順番待ち"の列に入らずに済んでいるうさぎには測りかねます。 もちろん、順番が守られる保障などどこにもないのだけれど。

葬儀が終わると、故人の棺に皆で花を飾りました。 最初は白い菊の花を、その上から白いトルコ桔梗と白バラを添え、 最後はカトレアで飾ります。
一昨年、末娘の叔母が病で逝ったときのこの作業は本当につらかった。
故人の兄や姉たちはみな目に涙をため、口の端からすすり泣きがもれました。 やはり順番は守られねばならないのです。 気丈な3番目の伯母が、わざと明るく言ったものでした。
「お花が大好きなトコちゃんをお花で見送ってあげられてよかったわ。
でもどうして菊なの? あたし、キクなんて大嫌い。
あたしの時にはカトレアにしてね。みんな覚えといて頂戴。
どうせうちの人は何言ったって覚えてやしないんだから、今のうちにみんなに言っとくわ」

今日の花にカトレアがあるのは、そのせいでしょうか。
けれど、"どうせ覚えてやしない"といわれた連れ合いの伯父は昨年先立ち、 その伯母自身、今日は病床にあって姿を見せていません。

今日も花を飾りつつ、皆、涙を見せぬよう、牽制しあっているのが分かります。
夫を失った伯母が、棺の中の顔を見ながら、淡々といいました。
「昨夜ね、うちの人と長男の真弓って アゴのあたりがやっぱりそっくりね、って皆で言ってたのよ」

「いいえ!」と、故人の妹がやけにきっぱりと言いました。 「アゴなんて全然似てやしませんよ。 マユちゃんと兄さんが似ているのは、目ですとも!」
小姑に反論され、伯母は口をきゅっと結びました。
夫のなきがらを見て泣かれたら辛いなあと思っていた回りは ちょっとホッとした気持ちになりました。

棺を花で埋めると、それを火葬場に運ぶ準備が整い、 葬儀屋さんが言いました。
「お若い男性6名ほど、棺をお運びするお手伝いをいただけないでしょうか」

男性たちは互いに顔を見合わせました。
どうやら"若い男性"とは自分のことらしい。
そう合点した60代の伯父や従兄たちが5名ほど前に出ました。
男性だけでは一人足りず、歳若い従姉の娘がそれに加わりました。
棺は重く、6人は数段ばかりの石段を、口元をヘの字に曲げて降りました。

5つばかり並んだ火葬場の銀色の扉の一つに棺が運び込まれると、待ち時間となりました。
待合室へと赴く途中、金色の扉が二つ並んでいる前を通りました。

「火葬場にも等級があってね」と父が言いました。
「金を積めば、金色扉の"特級"クラスで焼いてもらえる。 ‥べつに焼き上がりに違いがあるというわけでもないんだろうがね。
以前、○○さんが亡くなられたときに、 "火葬はどういたしましょう"って奥さんに相談されてね、 故人は人間の序列化を何よりも嫌った人だったから、"並の方でいいでしょう" と答えたんだが、いざ焼く段になってみたら、特級になっていたよ。 どうして最後くらい故人の流儀を通してあげられなかったものかねえ」

「あらいやだ」と母が言いました。 「あなたが"並"だなんて言葉をお使いになるから、 奥様、殊更にがんばってしまわれたのだわ」

一時間ほど待つうちに、屍は骨となり、魂は煙となって空に還りました。
普段は決してすることのない、二人で一つの骨を骨壷に収める作業、 この慣れない箸使いに、だれしもが口もとを引き締め、指先に神経を集中させます。
故人の変わり果てた姿にショックを覚えつつも、 とにかくこの難業をやりとげねばならない。 骨を取り落とすことなく骨壷に収めると、皆ホッとした表情になります。

あらかたの骨を壺に収めた最後に、のどぼとけの骨と頭蓋骨。
係りの人が説明します。
「これがのどぼとけの骨。仏様が手を合わせておられる形をしているのでそう呼ばれます。 のどぼとけと言っても、首の前ではなく、背中の方にある第二頚椎なのですけどね」
葬式の度に繰り返される同じ文句に、皆は今更ながら「ほおおお」と感心し、 骨を覗き込みます。

「これがお耳あたりの骨です。とても脆い部分ですので、たいてい崩れてしまうのですが、 綺麗に残っておいでです。ほら両方とも。たいへんお綺麗ですよ」 係りの人はいつも何かしら故人の骨を褒める。遺族はその褒め言葉に満足するのです。 「きれいに焼けてよかった」と。 そしてかつて愛する人の一部であった骨に愛着をおぼえはじめるのです。

棺の代わりに骨壷を抱き、先ほどの寺に帰って初七日の法要。
それが済むと、親類縁者だけの会食。 その席で、晩年を歌人として過ごした故人の歌が詠まれました。

ガンの告知 されたら我はなんとする とりあえず 蔵書の始末でもするか

「それで結局、蔵書の始末はして逝ったのかね? お兄さんは」とだれかが尋ねました。
「いやあ‥」と、うっすら苦笑を浮かべる喪主の従兄。
様々な儀式を通して、遺族はあきらめることをおぼえていくのでしょう。 葬式をつつがなくやりとげた満足感に、残された伯母の緊張もだいぶほどけてきたようです。