 
	
	目指す村に到着し、皆が自転車から降ると、ヴィダリが村についての説明を始めた。
	「ここはフィジアンリゾートの従業員が住む村だ。1972年に作られた、非常に新しい村だ。
	昔のフィジアンはあちこちに移動したが、今じゃこうして村に定住している。
	昔の家は藁葺きのとんがり屋根だったが、みてごらん、今じゃこのとおり、どれもコンクリート造の平べったい家だ。
	昔はサイクロンに襲われるたびに村が壊滅状態になったものだが、こういう家を建てるようになってから、
	家が壊されることもなくなった」ヴィダリはそこでうさぎの顔を見て言った。
	「‥おい、英語が聞き取れているかね?」
	「大体ね」とうさぎは答えた。本当は半分くらいがいいところだが、気を遣わせるのも悪い。
	
	ヴィダリは続けた。
	「皆さん、フィジーの村はどこもこんなだなんて思っちゃいけない。ここはとってもラッキーな村だ。
	ジョッシュはこの近くに住んでいるが、わたしの村はもっと東の海岸沿いにある。
	わたしはそこから出稼ぎに来てるんだ。わたしの村はこんなふうではない。
	土地が低く、ジメジメしていて、その67パーセントはマングローブの林だよ。
	土地がやせていて作物が育たないから、村は貧しい。おまけにエルニーニョ現象が起きる度に洪水で水浸しになる。
	この間なんか、ジョッシュが手伝いに来てくれたんだが、あんときゃ2日も水が引かなかったよな?」
	辺りの家々を見回してみると、ここだってさほど豊かな感じはしない。
	コンクリート造の家は頑丈そうだが簡素で、決して立派とは言えないし、牛だの犬だのが放し飼いにされているので、
	よく気をつけないと糞を踏んでしまう。
	「ここのライフラインは5年前に整備されたばかりで、非常に新しい」とヴィダリが胸を張ったが、
	ということは、5年前までライフラインの整備すら充分でなかったということだろう。
	
	「この村には生粋のフィジアンもいれば、インド系も住んでいる。みんな平和に暮らしている。
	本当にラッキーな村だよ。この地方の酋長(chief)たちは寛大でね。インド人の面倒まで見てくれるんだ。
	これもこの辺ならではの特徴だよ。‥なにか質問はあるかね?」
	だれかが、
	「他の地方から来てここに住むことはできるの?」と尋ねると、ジョッシュが言った。
	「ああ、出稼ぎならね。ほら、あっちに並んでいるトタン貼りの家は、出稼ぎ労働者の家だ。
	ヴィダリもこの辺に住んで通勤しているけど、毎週火曜日には小麦粉とかを買い込んで自分の村に帰るんだよな」
	ヴィダリがうなづく。
	「いいかい、皆さん、フィジーじゃ父親の存在が非常に重要だ。家の中の大事なことは、みんな父親が決める。
	村のことは酋長が決めるし、地方のことは酋長たちの集まりで決める。みんなでカバを飲みながらね。
	そうやってフィジーの政治は成り立っているんだよ。実際、父親の存在は大切だよ。
	最後に寝るのが父親、子供を学校に送っていくのも父親、朝一番早く起きるのも父親だ。あとカバを飲んで‥。
	ニュージーランドでもそんな感じかい?」
	これには女性陣から歓声が上がった。「その通り!!」
	
	「フィジアンにとって、お金はあまり重要ではない。いまだに物々交換がよく行われているよ。
	食べ物などを手に入れると、フィジアンは隣りの人にも分ける。何でもお互いに分け合って生活しているんだ」
	「今でも?  経済の発達と共に貨幣経済が浸透してきてるんじゃないの?」と誰かが尋ねた。
	「最近はね」と軽くジョッシュが受け流す。するとヴィダリが後を引き取った。
	「皆さん、ここは全くラッキーな村なんだよ。昔からの習慣がちゃんと残っていて、実に平和だ。
	フィジーでは農地にも農作物にも税金が掛からないから、農業で上げた収穫は、全て自分のものになるしね。
	首都のスバの近くもこんなだなんて思っちゃいけない。
	スバに行けば職にありつけるかと思って人が集まってくるが、失業者ばかりだよ。
	治安が悪いから観光客は寄りつかないし、子供はこんなふうに外で遊んじゃいないよ」
	ヴィダリは村の広場を転げ回って遊ぶ子供たちを眺めながら言った。治安が悪いから観光客が寄りつかない。
	観光客が寄りつかないから貧しく、貧しいから治安が悪いのだろう。
	「いい職を得るにはいい教育を受けるのが一番だよ。ボクは技術大学を出ているから、
	こんなふうにいい職にもありつけたし、いい給料が貰えてる」とジョッシュ。
	おお、ただの貸し自転車屋の小僧と思いきや、彼はインテリだったのね‥。
	
	草の繁った村の中をゆっくりと歩いて、一行は教会の前にやってきた。
	地面にしがみつくかのように平たい家ばかりの中で、教会だけがとがった屋根をしている。
	ジャロジー窓が沢山ついた、装飾も何もない素朴な教会ではあるが、その高さと大きさに、
	他の建物にはない風格があった。
	「19世紀のフィジーに宣教師がやってきた。宣教師は村に住み、村の連中と仲良くなった。
	そしてある日、村の酋長が言った。『ワシは今日かぎり殺生を止め、キリスト教に帰依するぞ』と。
	それで、村に住む者はみな、クリスチャンになったというわけさ」
	ここでうさぎはさっきから気になっていたことを質問した。
	「この村にはインド人も住んでいるけど、彼らもクリスチャンなの?  ヒンズー教徒とかムスリムではなくて?」
	ジョッシュの答えはこうだった。
	「クリスチャンの人もいるよ。でも、村のあっちの方にはヒンズーの寺院もある。宗教は自由に選べるんだ」
	このやり取りを聞いていたヴィダリが大きな声で力強く言った。
	
	「いいかい、みんな、よく聞いてくれ。大事なことだよ。
	フィジーでは宗教が自由に選べる!
	我々には信仰の自由があるんだ!!」
	
	教会の側にはあずまやがあって、そこに木の幹の一部を横倒しにして、馬蹄型にくり抜いたものがあった。
	これはいわば太鼓で、ジョッシュが様々なリズムを付けて端をバチで叩くと、
	その音は丸くくり抜かれた木の内部で共鳴し、いい音に響いた。
	「昔のフィジアンはこうやって村から村へと情報を伝達したんだ。酋長の集まりがあるぞ、とかね。
	今じゃ電話一本で済むけどね」とジョッシュ。
	
	一行は、教会の脇をすり抜け、インド人の家の集まる一角へと進んだ。
	「みんな、違いを良く見て。さっき見たフィジアンの家は柵がなかったよね。
	ここはそれぞれの敷地が柵で区切ってある。この違いが大事なんだよ」とジョッシュ。
	なるほど、広い草むらに建物だけが散らばっていた感じのさっきの場所とは感じが違う。
	土地は狭い路地を残して200〜300坪ごとに区切られ、有刺鉄線が張りめぐらされている。
	
	生粋のフィジアンのモットーは「何でも村の皆で分け合う」ことだ。
	彼らにとっては村全体が家族みたいなものだから、村全体を柵で囲みはするが、
	個人の家を柵で囲ったりはしない。
	だが、インド人は「自分の身は自分で助く」のがモットーである。彼らは自分の財産をしっかりきっちり管理したい。
	家や土地、牛や犬やネコ、鶏などの家畜に関して、「よそはよそ、ウチはウチ」をはっきりさせたいのだ。
	柵に有刺鉄線を使うのは、単にコスト的な理由らしい。
	
	村を一通り見学し、その入口に戻ってくると、ヴィダリが言った。
	「さあ、今日はこれで帰るけど、明日はジョッシュの住む村を訪問する。
	行きたい人は、今ここで優先的に予約を受け付けるよ!」
	別に予約を取るのが難しいようなツアーでもないので、これには皆が笑った。