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	ここに住む人達は皆、フィジアンリゾートの関係者ばかり。
	観光客のお陰で自分たちが潤っているのだということを良く知っているせいなのか、
	それともこんなところにまで従業員教育が行き届いているのか。
	尤も、中には変わり者もいて、途中で寄ったスーパーの前でジョッシュと二言三言
	会話を交わすと、
	フイっと行ってしまった若者がいた。それを見ていたオージーが尋ねた。
	「ジョッシュ、あれはだれだい?」
	「ぼくの従兄弟だよ。ヤツは観光客が嫌いなんだ」とジョッシュ。
	
	スーパーを後にすると、きりんと子供たちは先に行ってしまい、うさぎはしんがりを務めるジョッシュに話しかけ、
	村での説明で聞き漏らした点を復習した。
	そこにメルボルンからやってきたというオージーのおじさんがやってきて、
	「日本のどこから来たの?」とうさぎに尋ねた。
	「ヨコハマよ。東京の近くの港町」とうさぎが言うと、
	「そうかい。去年、うちには日本人留学生が1年間ホームステイに来ていたよ。
	19歳の女の子でね、彼女もその‥マシ‥ヤ‥?  ええと、なんだっけかな、なあ、オマエ」
	「ヒロシマですよ」と奥さん。
	「ああ、そう、そう。"ヘロシマ"から来たんだよ」
	うさぎは可笑しくなった。ヒロシマとヨコハマ。もしかしてこのおじさん、その区別がついていない?
	ネバー・フォーゲット・ヒロシマ。『広島』は人類にとって、忘れちゃならない地名なんだけどな。
	
	バイクツアーから帰ってきた後、うさぎはフロントで、フィジアンリゾートの開業年を尋ねた。
	若いフロント係の女の子は、
	「分からないわ。何しろわたしの生まれる前の事だから」と笑いながらも、
	電話で関連部署に問い合わせて調べてくれた。すると、1967年だということが分かった。
	バイクツアーで行った村が出来たのは1972年。
	とすると、初めにリゾートありきで、その従業員のために村が作られたのだろう。
	フィジアンとインド系の人々が仲良く一つの村で同居している事情というのも、その辺にありそうだ。
	フィジアンリゾートは、従業員がフィジアンだけでもインド系だけでも、成り立たない。
	のんびりした性格のフィジアンだけでは仕事が行き届かないし、
	インド人だけではフィジーっぽい雰囲気が損なわれる。両者が助け合ってこそのフィジアンリゾートなのだから。