前回の記事のその後。
前回モンゴル語がうまくいっていないと書きましたが、そのブログ記事を書いた直後に事態が好転しました。
こういうことって実はけっこう頻繁にあります。ブログに書くとなぜか悩みが解決する。たぶん書くことで気持ちが整理されるからだと思います。
それにしても面白いのは、今回は語学のみならず、同時にお絵描きまでがうまくいき始めたこと。これはやっぱりゴジラ対ガメラ効果なんでしょうか? 二つの悩みをぶつけると、互いに打ち消し合って問題が解決する、みたいな?
それにしても良かった。モンゴル旅行までもう日がないと焦っていたので。とりあえずモンゴル語学習を軌道に乗せられて良かったです。
ブログ記事を書いたことで意識的に何かを達観したわけではないので、なぜ事態が解決したのかを言語化するのは難しいのですが、後学のため、ここで整理してみます。
まず前回の記事を書いてぼんやり思ったのは「リスニングが苦手」という一般的な話をしているけれど、結局何が問題かというと、モンゴル語のリスニングをサボっている状態だということ。「リスニングが苦手」というのは単にモンゴル語のリスニングをやらない言い訳っぽいなあと思いました。
また、お絵描きで「『インプット』はやっている。ただ自分で描く(アウトプット)ができない」と書いているところを見ると、「やっぱり大事なのはアウトプット」と思っているようにも見える。インプットの重要性を信じ切れていないのかも。
つまり前回の記事はモンゴル語をやらない言い訳を書き連ねたものだった。ブログからそういう自分の姿が透けて見えてしまったから「しのごの言わずにとにかくやろう」と逆に思えたのかも。
次に、なぜお絵描きはインプットができるのかというと、それは楽しいから。気楽だから。別にそこから何かを学ぼうと意気込んでいるわけではなく、ただ楽しいから見ている。暇つぶしでダラダラ見ている。
一方、語学ではなぜインプットを避けてしまうかというと、そこから何かを学ぼばなくては、とか、覚えなきゃといったプレッシャーがあるからだと思う。
語学もお絵描きのように気楽にやればいいのでは?というヒントが得られた気がします。
それまでモンゴル語のスキットを聞くときは努めて集中して聞こうとしていました。テキストを見ながら聞き、十回くらい聴いたらディクテーションでチェックしていた。でもこれがプレッシャーで、たった三日しか続きませんでした。そしてそのあとはモンゴル語、二週間ぐらい、放置( ̄▽ ̄;) やらなきゃやらなきゃ、と気ばっかり焦って結局何もやらなかった。
でもだんだんモンゴル行きは近づいてきて、焦りマックスで書いたのが、前回の記事です。
結局、やらないのには理由があるんですね。やりたくない、という。重すぎるタスクはやりたくない。そういうときはもっと楽な方法にすぐさま変えるべき。
前回の記事を書いたあと、何もしないよりは、と思い、とりあえずスキットを流しっぱなしにしておくことにしました。よく「聞き流すだけでは効果がない」と言われるけれど、でも何にもしないよりはマシかなと思って。
「聞き流し」というけれど、実際には流しているだけで、聞いてすらいなかったかも。でもモンゴル語から完全に遠ざかっているよりも、とりあえず朝から晩までモンゴル語を流しているほうが、ずっと気分は良かったです。
何かができるようにならなくても、とりあえず何かやっていれば案外満足度は高い。
「聞き流し」で弾みがつき、テキストを紙に書いたりもしました。スマホでテキストが読めたら便利と思い、スマホにも打ち込みました。ディクテ―ションはやめて、ただテキストを書き写しました。ディクテーションは理解度のチェックに繋がるから億劫だけど、ただテキストを見ながら書き写すのは淡々とできて気が楽でした。
そうこうするうち、頭の中でぐるぐるモンゴル語が回るようになってきて、リスニングのほかにも、単語帳を眺めたり、文法説明を読んだりして、単語や表現も覚えて言えるようになってきました。なんか今は割といい感じです。
モンゴル語再開から数日経った頃、不思議とお絵描きも、人が描くのを見るだけじゃなく、自分で描こうという気持ちになりました。たまたま良い本を見つけたというラッキーも手伝い。お手本に従って毎日一枚ずつ描いています。


簡単なので、子どものお絵描き練習にもぴったり
毎日一日描くと決めると、翌日が来るのがすごく楽しみなんですね~! 本を見ながら「明日はこれを描くんだなー」と思うと、翌日が待ち遠しい。
逆にモンゴル語にも跳ね返ってきて「明日はこの課を重点的にやろう」と思いながら眠りにつくと、翌日が楽しみ^^。
一度にたくさんやろうとすると疲れて嫌になりがちだけど、一日の分量を少な目に設定すると、逆に「早くやりたい」って思うみたいです。
結局、お絵描きのアウトプットもモンゴル語のインプットも、難しすぎることをやろうとしていたから億劫だったんですね。「え、こんなんでいいの?」って思えるくらい低いハードルから始めるのが、豆腐のように弱々な意思の持ち主(わたし)にはちょうどいいみたいです。
そんなわけで、お絵描きもモンゴル語も、両方うまくいっていなかったのに、ブログに書いたら突然、両方うまく回り始めたというお話でした。
インプットが苦手な語学と、アウトプットが苦手なお絵描き。この一見反対の悩みが同時にあったから、どうすればいいのか本能的に分かったのかも。二つの問題を掛け合わせたら、互いに中和し合って消えてしまった。やっぱりこれはゴジラ対ガメラ効果なのかもしれません。