インドネシア語

インドネシア語の思い出

 今回はインドネシア語の思い出を書きます。


 2009年12月、アラビア語を習いに通っていたアラブ イスラーム学院の卒業が間近に差し迫っていた頃、同学院のインドネシア人の女性スタッフさんにインドネシア語の文を教えてもらったのが、インドネシア語を始めるきっかけでした。

 「インドネシア語はとっても簡単。『わたしは食べたい』だったら、”Saya mau makan”。sayaは「わたし」、mauは「したい」、makanは「食べる」。サヤ・マウ・マカン。ね、簡単でしょ?」

 確かにそれは簡単でした。なぜなら3つの単語のうち2つはすでに知っていたからです。sayaはマレーシア、makanはシンガポールを旅行したとき、滞在ホテルのスタッフだったか誰かが教えてくれたのだったと思います。インドネシア語は、マレーシアやシンガポールで使われているマレー語とよく似ているのですね。

 全く学んだことのないはずのインドネシア語を知っていたことに親近感を感じ、その日家に帰ると早速インドネシア語の会話集を開きました。すると他にもたくさん、聞いたことのある単語が見つかりました。

 たとえば「ナシゴレン」。「nasi」は「ご飯」、gorengは「揚げる・炒める」という意味。つまり「炒飯」。

 「人」は「orang(オラン)」というのだと知り、じゃあ「オランウータン」も「人」のうち?と思ったら本当に、オランウータン(orang hutan)は「森の人」という意味でした。

 それからアラビア語からの借用語。インドネシア語にとってのアラビア語は、日本語にとっての漢語にあたり、umur(年齢)、asal(出身)、waktu(時間)、wajib(義務)、istirahat(休暇)など、すでに知っている気がする単語がざくざく見つかりました。

 また、「食べる」も「食べた」も「食べろ」も全部 makan 。主語が誰でも makan。どうやら動詞の活用はないらしいと分かりました。しかも語順はフランス語とほぼ同じ。文字の読み方も、e 以外はローマ字読みで良さそう。

 なんということでしょう。アラビア語を始めたときは、文字の読み方すら分からなかったのに、インドネシア語は最初から、文字が読めて、文が組み立てられて、単語もたくさん知っているのです!

 これは行ける、と確信し、興味がうわーーっと膨らんでしまいました。今はアラビア語の卒業試験前。そんなことをしているヒマはないのですが。

 一度ついた勢いは止められませんでした。話し相手がいることも、やる気に油を注ぎ、インドネシア人スタッフさんに毎日インドネシア語で話しかけました。通学中は、今日はどんなことをインドネシア語で言おうかと、頭の中で文を組み立てました。

 アラブ人は噂好き。わたしがインドネシア語を始めたことは、学校の先生方にすぐ知れ渡りました。女性専用フロアでしか使わないのに男の先生方も皆知っていて、叱られるかと思ったら、むしろ面白がってもらえたようです。「インドネシア語の調子はどう?」「〇〇はインドネシア語でなんていうの?」などとアラビア語で聞かれ、応援されているように感じました。

 最初の3日間は会話集を眺めるだけで満足していましたが、自分が推測した文の法則が正しいかどうかが知りたくなり、入門書も読みはじめました。

 すでにインドネシア語検定の存在も確認しており、申し込み可能な直近の7月にC級を受けようと思い始めました。下から三番目の級で、英検で言えば2級相当。今から思うとずいぶん強気ですが、アラビア語で蓄えた語彙がそっくり使えることに気を良くしたのでしょう。


 1月に入ってからは、さすがに卒業試験に向けてアラビア語に専念、のはずでした。

 ところがある日突然ぎっくり腰になり、完全な寝たきり状態となりました。寝返りもできず、這うこともできず、まるで生まれたての赤ん坊。夫と娘に左右から脇を支えてもらい、吊るようにして運んでもらわないと、トイレにも行かれないありさまでした。

 「一生このままだったらどうしよう」という不安の一方で、「これはインドネシア語を勉強するチャンス!」と思う自分がいました。この状態では卒業試験を受けに行かれるかどうかも怪しい。インドネシア語をやろう、と。

 家族のカードを動員し、図書館からインドネシア語のテキストを12冊借りてきてもらい、片っ端から読みました。読みやすいものから順に、読んで読んで、ひたすら読みまくりました。他には何もできることがなかったからです。

 幸い、腰は順調に回復。2日後には這ってトイレに行かれるようになり、そのまた2日後には伝い歩きができるようになり、その翌日ひとり立ちもできるようになりました。10日後には早くもコルセットをつけて学校に行かれるようになり、アラビア語の試験勉強に突入。インドネシア語はしばらくおあずけとなりました。


 インドネシア語が再開できたのは、卒業式を終えた3月以降です。とはいえ卒業後もアラブ イスラーム学院に通い続けることにしたので、メインはアラビア語。インドネシア語にはなかなか時間が割けませんでした。テキストを一冊読むのに何週間もかかった覚えがあります。

 ようやくインドネシア語に専念できたのは、アラビア語の半年講座が終わってから。検定試験までの最後の18日間はよく勉強しました。特に試験直前に「このテキストだけは絶対読めないだろう」と思っていた400ページ近い分厚いテキスト「バタオネのインドネシア語講座 初級」を4日かけて読み切ったときは「やり切った」感がありました。

 検定試験が終わったあとはまたアラビア語にとんぼ返り。試験から2か月半後、ようやく合格通知が届いた頃には、もはやインドネシア語への情熱は影も形もなく、2019年に10言語同時学習を始めるまで放置状態でした。


 インドネシア語は、忘れてしまっても、ちょっとやればまたすぐ取り戻せる気がします。現在は、たまーにDMM英会話で話しています。

 いつかインドネシア方面に行くことがあれば、旅行前に短期間集中して取り組もうと思います。

バリ・ウブド アラム・ジワ
バリ・ウブドにて
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