ドイツ語

ドイツ語の思い出

 高校生だった頃、「大学受験の外国語はドイツ語で受けなさい」と父によく言われました。「英語に比べ、ドイツ語はできる人が少ないから問題が簡単。得点しやすくて有利」というのです。父自身、旧制高校時代ドイツ語を独学で学び、大学もドイツ語で受けて受かったそうです。

 そこでわたしも独学でドイツ語を学べないかと思い、ちょっとやってみました。でも、一体どこからどう取り掛かったらいいのか、何をすればいいのかさっぱり分からず、始めることすらできませんでした。だからというわけでもないのでしょうが、大学受験も父の母校に敗北を喫しました。なぜ父にできたことが自分にはできないのか。大学進学後も自分への失望がずっと胸の中でくすぶり続けました。


 さて、進学した大学では、第二外国語の選択肢は三つだけでした。フランス語とドイツ語と中国語。まず中国語は漢字が苦手なので除外。母が「フランス語は難しい」と言うのでフランス語も除外。父が「簡単」と言うドイツ語にしました。難しい言語で単位を取る自信がなかったからです。

 まだ4月のある日、紀伊国屋で「リンガフォン」という語学教材の新学期セールに出くわしました。ドイツ語のカセット17巻とテキスト、解説書などのセットでキャンペーン価格5万円。販売員のお兄さんの口上を聞いていると、この教材さえあれば、高校時代は無理だったドイツ語の独学が叶いそうな気がしました。5万円で夢が叶うなら安いもの。といっても自分にとっては大金なので、ちゃっかり親にねだって買ってもらいました。18の春。1981年のことでした。

 しかし、一見コンパクトにまとまったこの教材は、恐ろしく時間を食う代物でした。一つのダイアログを最低15回聞き、読み、意味を確認し、文法を理解し、書き取り、発音し、テストをやって、できなければふりだしに戻る。ダイアログを一つ終えるにも途方もなく時間がかかるのに、一課つきそんなダイアログがいくつもあり、しかもそれが30課まであるのです。その果てしなさに頭がクラクラし、やっとのことで序章と1章を終えた頃にはすでに燃え尽きていました。

 大学のドイツ語授業も同様。すべてが果てしない気がして、これっぽっちも勉強する気が起きませんでした。辛うじて覚えたのは、4月にさんざん暗唱させられた定冠詞の格変化だけ。でもなぜか単位は来たので、授業からは無事解放されました。

 しかし、リンガフォンからの解放はありませんでした。ことあるごとに「一式5万もしたのに!」と親に言われ続け、親が言わなくなっても自分が自分に言い続け、大学を卒業しても、就職しても、結婚しても、それから何十年も、リンガフォンの呪いに悩まされることになります。

 教材が嫌なのは、後に残ることです。一度買ってしまった教材は、捨てない限り、手元に残る。いくら押し入れの奥深くにしまい込んでも、「オマエは挫折した、オマエは挫折した・・・」というどす黒い怨念が、襖の隙間から漏れ出してくる。もう何度この教材を捨てようと思ったか知れません。でも高価だったと思うとどうしても捨てられず、いつか活用することを夢見て、もう一度押し入れにしまいなおすのでした。


 購入から17年経った1998年夏、チャンスが訪れました。とある公募に入選し、街の親善使節団の一員として南ドイツに行くことになったのです。

 さあドイツ語の出番です。ここぞとばかりに張り切り、出発までの2週間でリンガフォンを第3課まで進めることができました。旅行から帰るとまた押し入れに直行でしたが、気分は良かったです。旅行中も、英語がほとんど通じない村でドイツ語が役に立ちました。リンガフォンで何度も聞いた音が、そのまま耳に残っていたのです。

 次にチャンスが訪れたのは、2006年秋。フランス語検定の合格に味を占め、長年喉に突き刺さったままのドイツ語という棘を抜くべく、ドイツ語検定を受けようと思い立ったのです。

 幸い、検定試験には受かりました。けれどもリンガフォンの活用には結びつきませんでした。まず第一の失敗は、新しいテキストを購入してしまったこと。第二に、何もせずにダラダラしているうちに、気づけば試験直前になってしまったこと。新しいテキストをこなすのに手一杯で、とてもリンガフォンに回す余裕はありませんでした。そして検定試験を終えるとその日のうちに心は別言語へと向かい、ドイツ語はそれっきりとなりました。

 その後、毎年秋になるとドイツ語に取り組もうとするのですが、結局エンジンがかからず諦める、というパターンを数年繰り返しました。


 しかし2011年の秋は感触が違いました。その前の年に英語多読にハマり、それが高じてフランス語多読にも親しんでいたからでしょうか。ドイツ語でも読めそうな気がして、愛読書である「がまくんとかえるくん」のドイツ語訳「Das grosse Buch von Frosch und Kroete」を読み始めたのです。

 それが契機となり、エンデの「レンヒェンの秘密」やケストナーの「ふたごのロッテ」、「ハイジ」などの簡約本を次々読みました。入門書も、簡単そうなものから難しいものへと、どんどん読み進めていきました。

 結局、入門書20冊、ドイツ語の物語を7冊読みました。同時に単語帳もよく眺めました。えらい勢いで語彙が増え、たった2か月半でドイツ語検定2級が取れるまでになりました。その語学力向上のスピード感は、それまでどの言語でも経験したことのないものでした。

 しかも、検定試験が終わっても意欲が衰えず、まだまだ元気。そこで積年の課題、リンガフォンのテキストを毎日1課ずつ読むことにしました。

 そして一か月後、ついに最後まで読み終えました。テープも聴かず、ただ一度読んだだけ。それでも積年の宿題を終えた気分で、その解放感といったらありませんでした。リンガフォンを購入してから実に30年。18歳の少女は48歳になっていました。

 リンガフォンのテキストを実際に読んでみての感想は「これは今まで読めなかったのも無理はない」でした。最後のほうは本当に難しく、独検2級よりだいぶ上の難易度であることが分かりました。こんなレベルまで網羅する教材を、まだドイツ語を始めてもいない頃に、一括して買ってしまったとは・・・! これはむしろ挫折して当然の愚であったと思いました。

 でもそれがわかったのも、この苦い経験があったればこそ。いますぐ活用できるレベルの教材しか買ってはいけないという貴重な教訓となりました。


 こうして30年の悪夢から解き放たれて以来、今はもうすっきり。語学への苦手意識が消えました。

 今後ドイツ語学習を再開する予定はありませんが、本は折に触れて読むと思います。ドイツ語のスキルアップというより、ただ娯楽として、読めそうなもの、好きなものを読んでいかれたら、と思います。

Marienplatz in München
ミュンヘン マリエン広場
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