リスニングが苦手です。聞き取れない。話の速さに理解が追い付かない。
リスニングに比べると、話すのは割とできる。だからアンバランス。そこそこ喋れるからリスニングスキルも高いと思われ、ナチュラルスピードでまくしたてられてしまい、理解できない😿
このアンバランスを、特に英語に関して克服しようと何年も前から奮闘していますが、あんまりうまくいっていません。
なぜうまくいかないか。それは「苦手なことはやりたくない」から。苦手だからつい避けてしまう。
で、やらないから成功体験が積めない。成功体験がないと「これをやったら、こういう成果が得られる」と期待することができない。「やっても無駄かも?」と心のどこか思うわけです。だから頑張れない。
今やっているモンゴル語もね、一応聞いてはいるけれど、もう全く成果が感じられない。同じスキットを何度聞いても、音と意味が結びつかない😿 だからついサボっちゃう。
苦手って悪循環。苦手だからやらない、やらないからますます苦手になる。
タマゴが先か、ニワトリが先か。この悪循環をどこかで断ち切って、好循環に変えてやらなきゃいけないんだけど、それができない。
・・・というか、そう簡単に向きを変えられるくらいなら、ブログでこんな記事を書いていない。
日本人はシャイなので、わたしとは逆に「聞けば分かる、でも話せない」という人のほうが多いかもしれない。わたしはそういう人が羨ましい。充分なインプットがあれば、アウトプットはちょっと一押しすればすぐできるようになるから。
英語習得法の本に書いてあったけれど、リスニングスキルの習得には少なくとも3年かかる。でもスピーキングスキルは3か月だそうです。先日会った人は3週間ですって。つまり「聞けば分かる、でも話せない」という人は腹さえくくれば3週間~3か月で話せるようになるわけです。でもわたしは今すぐ腹をくくっても、聞けるようになるのは3年後。ほらね、わたしの悩みのほうが深刻じゃん。
3年は長い。3か月なら頑張れる。でも3年は無理! ・・・って3年以上前から言ってるのだから、あの時ちゃんとやっていれば、今頃聞けるようになっていたかも。・・・あーあ。
・・・なんてことを何年もやっているわたしですが、最近「これは突破口になるのでは?」と思うことがあります。それは「お絵描き」。
お絵描きはちょうど一年前に始めました。
その節は、外国語学習の経験に助けられました。
で、そのお絵描きに、今度は外国語学習が助けてもらえるのではないかと。
といっても、実はお絵描きもうまくいっていない。最近あまり描いていない。
なぜ描かないのかというと「何を描けばいいのか、どう描けばいいのか分からない」から。
お絵描きは外国語とは逆で、人が描いているところを見るのは大好きで、始終インスタグラムやYouTubeを見ている。いわば「インプット」はやっている。ただ自分で描く(アウトプット)ができない。
で、これはこれで悩んでいるわけです。人が描いているのをただ見るのって意味があるのかな、いつか自分が描くことに繋がるのかな?って。外国語はインプット(リスニング)の蓄積がアウトプット(話す)に繋がるんだから、お絵描きだってきっとインプット(人のを見る)の蓄積がアウトプット(自分が描く)に繋がるんじゃないかと期待しているけれど、それってただの言い訳で、ただ描くことから逃げてるだけじゃないの?って。
というわけで、外国語が「聞けば分かる、でも話せない」という人の気持ちが分かるような気がする今日この頃。
で、この二つの悩みをコンバインしたら両方とも解決できるんじゃないかと。
昔、お話作りについて友達に相談したことがあります。「物語って、主人公が窮地に陥らないと話にならないけど、その窮地をどうやって打開すればいいのかが分からない」と。
そしたらその友達がこう教えてくれました。
例えば、主人公がゴジラに襲われて窮地に陥るとするでしょ。そんなとき逆のほうからガメラがやってくる。主人公はますます窮地に陥るよね。でもゴジラとガメラがケンカを始めたらどう? 主人公はその隙に逃げて助かる。窮地はそうやって打開すればいいのよ。
ええー!! そうなの?! 目からウロコが落ちるとは、まさにこのこと。だからもう40年も前のことなのに、よーく覚えているのです。
アウトプットはできるけれど、インプットが苦手な外国語と、逆に、インプットは楽しいけれど、アウトプットができないお絵描きと。これはゴジラとガメラなのではないだろうか? この二つをうまいこと利用すると、両方の問題が一度に解決するのでは??
・・・なーんて夢見ているわたしです。





