多言語

文化の最大公約数

 外国語を学ぶとき、わたしは童謡や童話など子ども向けの素材を使うのが好きです。ロシア語を学んでいる今は「マーシャと熊」のアニメを見ています。

 その原点は、50年近く前の体験にあります。

アメリカで経験したこと

 それは中学二年生の夏休みにアメリカへ、一か月のホームステイに行ったときのこと。

 「ラボ・パーティ」という英語劇のサークル?(習い事)の活動の一環として行ったのですが、ある日「ラボってどんな活動をするの?」と聞かれ、英語でうまく説明できないので、例としていつもテープで聞いている「ジャックと豆の木」の大男のセリフを言ってみたのです。

 Fee-fi-fo-fum,
 I smell the blood of an Englishman
 Be he alive, or be he dead
 I’ll have his bones to grind my bread

 匂うぞ、匂う 確かに匂う
 イギリス野郎の美味そうな匂い
 生きてようと 死んでようと お構いなし
 骨を粉にすりゃパンになる

 すると。Fee-fi-fo-fum・・・とわたしが言いかけると、その場にいた6,7人の大人たちが全員、 I smell the blood of an Englishman・・・とわたしと一緒に続けて言ってくれたのです。

 その嬉しかったことと言ったら!

 そして不思議に思いました。なぜ皆このセリフを知っているのだろう?と。日本でも「ジャックと豆の木」は割とよく知られているお話ですが、セリフまでは普通覚えていないからです。

 でもこれを日本の歌に置き換えてみたら分かりました。

 日本人なら誰でも「桃太郎」や「浦島太郎」の歌が歌える。そしてもし誰かが「ももたろさん、ももたろさん・・・」と歌い始めたら、誰しも「お腰につけたきび団子・・・」と一緒に歌いたくなるのではないでしょうか。

 要するに英語圏における「ジャックと豆の木」は、日本における「桃太郎」や「浦島太郎」にあたるくらい、誰もがよく知っているお話だったのだと思います。ゴロの良いセリフを空で言えるほどに。

ニュースでも使われる童謡の表現

 この体験に味を占めたわたしは、日本に帰った後、おとぎ話の有名なセリフや英語の童謡(マザー・グース)を熱心に覚え始めました。

 たとえば不思議の国のアリスにも出てくる卵の「ハンプティ・ダンプティ」。

 Humpty Dumpty sat on the wall.
 Humpty Dumpty had a great fall. 
 All the King’s horses and all the King’s men,
 Couldn’t put Humpty together again.

 ハンプティ・ダンプティ 塀の上
 ハンプティ・ダンプティ 落っこちた
 王様の馬と家来を集めても
 ハンプティを元には戻せない

 この歌の All the King’s horses and all the King’s men という部分は時々ニュースなどでも目にする表現です。「いかなる手段をもってしても」という意味で使わます。

 ポップミュージックでも様々な歌手がいろんな歌の中で使っています。

 All the King’s horses and all the King’s men,
 Couldn’t put my broken heart together again.

 王様の馬と家来を集めても
 壊れたわたしのハートは直せない

という風に。それだけ英語圏の文化に縫い込まれたフレーズなのだと思います。

 尤もわたしがマザーグースを覚えたのは、ニュースを読みたかったからでも、英語のポップスを理解したかったからでもありません。ただわたしは、英語圏の人々が当たり前に知っていることを自分も知りたかっただけなのです。

子どもの頃覚えた歌は一生忘れない

 子どもの頃に習い覚えた歌やセリフは、大人になっても、何十年経っても、意外と忘れないものです。

 来年90歳になるわたしの母は、戦前に習った外国語の歌をいまだに二つ下の弟と一緒に歌います。どこの国の言葉だか分からないし、歌の意味も分からない。他にはこの歌を知る人もなく、歌うチャンスもない。でも二人とも覚えていて、電話で話したとき、電話口で一緒に歌うのだそうです。

 子どもの頃に出会う童謡や童話に学習言語で通じておくと、その言語のネイティブと心を通わせることができます。

 文化の共有を確認し合うのは、誰にとっても嬉しいことだからです。特にそれが子どもの頃から親しんだものとなれば、なおさらでしょう。

 娘がフランスに留学したときも、何かに役立つ予感がして、フランス語の子供向けシャンソンをたっぷり聞かせて送り出しました。

 大学寮の洗濯室で娘が無意識にそのうちの一つを口ずみながら洗濯をしていると、あとからやってきたフランス人学生が一緒に歌いだしたそうです。自分から人に話しかけるのは苦手な娘も、そうやって人と心を通わせ、フランスでたくさん友達を作ることができました。

 「ビルマの竪琴」という映画には、第二次世界大戦中、イギリス軍に包囲された日本の小隊が「埴生の宿」を歌うと、イギリス兵も同じ歌を英語で歌い始める有名なシーンがあります。故郷を思う気持ちに敵も味方もないと双方が共に理解した瞬間でした。歌が持つそうした効果は、映画の世界だけではなく、本当にあるとわたしは信じています。

子どもに与えるのはとっておきの文化

 どこの国でも人々が子どもに教えるのは、次世代に伝えたいとっておきの文化です。

 文化というと格調高い伝統芸能などがまず思い浮かびがちですが、そのど真ん中に位置するのは、むしろ子どもの頃から繰り返し聞かされ、大人になってもずっと忘れない童謡や童話ではないでしょうか。

 子どもの頃に大人から与えられるものというのは、大人になってそれぞれが自分で選び取る趣味に比べ、はるかに種類が少なく画一的です。同じ文化に属する子どもはみな同じような絵本を読み、同じような歌を聴き、同じようなアニメを見て育つ。

 だからこそ、子ども向けのものはおのずと文化の最大公約数になるのです。一口に文化といっても幅広い中、最大公約数から入るのは効率的でもあります。

ロシアらしさをざっくり概観

 今YouTubeで見ているロシアの子ども向けアニメ「マーシャと熊」にはロシアらしさがこれでもかと詰まっていて、ロシアの文化をざっくりと概観できます。

 たとえばこの間見たのは、マーシャがテニスを始め、球を打つたびに叫び声を上げる話。ロシア人が見ればシャラポワの真似だとすぐ分かり、クスリと笑えるでしょう。あの有名なロシアのシャラポワ選手が打球のとき絶叫することは、テニスファンに限らず広く知られている。だからこそ成り立つ笑いです。そういう笑いをロシア人と共にわたしも共有できるのは嬉しいことです。

 熊のミーシャが19世紀ロシアの画家シーシキンの画集に影響を受けて森に絵を描きにいく話もありました。どこか懐かしいような森の風景。日本人のわたしたちがトトロのアニメの風景に感じる懐かしさと同じものを、ロシア人はこうした風景に感じるのだろうなと思います。

 わたしが外国語を学ぶのは、自分とは違った原風景を持ち、違った言語でモノを考える人々と、同じものを見て笑ったり、気持ちを共有したいからです。

 だから、いま自分が学んでいる言語の話者が、どんなお話や歌を聞いて育ったのか、とても興味があるのです。

イヴァン・シ―シキンの代表作「松林の朝」
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