ロシア語

自由への渇望

 最近、ロシア語ネイティブの先生が「ちょっとこの詩を読んでみて」と詩をチャットに書いてくれました。どうやらプーシキンの詩のようです。

 なぜ突然プーシキン?と思ったけれど、レッスン終了直前に見せられたので、理由は訊けず仕舞い。

プーシキンの詩

У́зник

Сижу́ за решёткой в темни́це сыро́й.
Вскормлённый в нево́ле орёл молодо́й,
Мой гру́стный това́рищ, маха́я крыло́м,
Крова́вую пи́щу клюёт под окно́м,

Клюёт, и броса́ет, и смо́трит в окно́,
Как бу́дто со мно́ю заду́мал одно́.
Зовёт меня́ взгля́дом и кри́ком свои́м
И вы́молвить хо́чет: «Дава́й улети́м!

Мы во́льные пти́цы; пора́, брат, пора́!
Туда́, где за ту́чей беле́ет гора́,
Туда́, где сине́ют морски́е края́,
Туда́, где гуля́ем лишь ве́тер… да я!…»

 レッスンのあと、声に出して読んでみました。でも知らない単語が多すぎて、力点の位置が分からない(元の文には力点がついていなかった)。言葉の意味も分からない( ̄▽ ̄;)

 Google翻訳にコピペし英語に訳してみましたが、詩って語順が特殊だからいまいち脈絡がつかめない。

 内容の理解は諦め、とりあえず音を聞くことに。

 YouTubeで朗読を見つけ、それを聞いたら、ちょっとだけ意味が分かる箇所がありました。

Дава́й улети́м!
Мы во́льные пти́цы; пора́, брат, пора́!

というところ。

「さあ飛び立とう 我らは〇〇(知らない単語)な鳥。今こそ、兄弟、今こそ!」って感じかな。

 他の部分の意味は分からなかったけれど、その美しく力強い響きが気に入り、動画と一緒に何度も声に出して読みました。

 動画をmp3に変換してiPhoneに音声を取り込み、数十回聞きました。

 どこかに和訳がないかと思い、図書館からプーシキン詩集を二冊借りてみたけど、そのどちらにもこの詩は見つからず。

 仕方がないので重い腰を上げ、辞書をひきひき自分で訳しました。

囚われの身

湿った牢に 囚われの身の私
檻で飼われる若いワシ
哀れな私の同志は羽ばたきながら
窓の下 血まみれの餌をついばむ
つついては離し 窓を見上げる
私と同じ企てを 秘めるがごとく
私を呼ぶその眼差し その鳴き声
さあ飛び立とう と言いたげに

我らは自由の鳥 兄弟よ時は来た
雨雲の向こう 山が白ばむところまで
飛んで行こう 海の端が青ばむところまで
風と共に 自由に動けるところまで

 ちびちび訳し、自分の訳を何度も眺め、声に出すうち、共感がじわじわ湧いてきました。

 この閉塞感と、自由への渇望。

 いま自分が感じている閉塞感とリンクしたのです。

 わたしも今、二つの意味で閉塞感を感じています。

 一つは、わたしだけじゃない、世界中の多くの人が感じている閉塞感。コロナが怖くて家さえ出られない。まして国境を越えて旅行になど行かれない閉塞感。

 もう一つは、個人的な閉塞感。すなわちロシア語が自由に話せないもどかしさ。ロシア語で言いたいことが言えない。ロシア語を話すときって、まるで重たーいものを体にいくつもくくりつけて歩いているかのよう。格変化、定・不定動詞、力点・・・。帝政ロシアの農奴の気分。

Эй, ухнем, эй, ухнем! えいこーら えいこーら
Ещё разик, ещё раз! もひとつ えいこーら

 いい加減そろそろ上手くなって、自由に言いたいことが言えるようになりたい。

 自由になりたい。この窮屈な、限られた語彙から脱出して飛んで行きたい。もっと自由な高い空へ。風のように、自由にロシア語を操りたい。今すぐ!

 この詩を声に出して読むたび、そう思う。

三島由紀夫の歌

 ところで、なぜ先生は突然詩の話題を持ち込んだのか、次のレッスンで聞いてみました。

 すると、「日本語の詩でどうしても分からないのがあって、その意味を知りたかった」のですと。そか(笑)。

散るをいとふ世にも人にもさきがけて
散るこそ花と吹く小夜嵐

三島由紀夫

 先生はこの短歌が詠まれるのをYouTubeで聞き、意味は分からないけど、響きが気に入ったのだそうです。

 何度も何度も、意味も分からない日本語を繰り返し聞いた。

 やっぱり意味が知りたくて英訳を探し出した。けれど英訳の意味もいまいち分からない、と。

 ・・・おお、まさしくわたしのプーシキンと同じ状態・・・!

 先生が探し出してきた英訳はこれです↓

A small night storm blows
saying ‘Falling is the essence of a flower’
preceding those who hesitate.

 「”Falling is the essence of a flower”ってどういうこと?」
 「preceding those who hesitateって??」

 ・・・うーむ、これは難易度が高い。日本の短歌は短いだけに説明がないし、日本特有のモノの見方が絡むから。ロシア語ネイティブにとっての三島は、わたしにとってのプーシキンより難易度が高そう。

 そこでまずは背景知識を説明しました。

  • ここでいう「花」とは「桜の花」のこと
  • 「花(桜)が散る」は「人が死ぬ」のメタファー
  • 作者の三島由紀夫は「潔く死ぬ」ことを貴ぶ人であった

 あとこの英訳は逐語訳すぎて分かりづらいので、分かりやすく言い換えました。

  • preceding those who hesitate = teaching those who don’t want to die, to be ready to die

 ええっ!そうなの?! そんな意味なの?!と驚く先生を見るのが楽しかった(笑)

 こうしてわたしはプーシキンの詩、先生は三島由紀夫の歌の意味が理解できたわけです。メデタシ、メデタシ。

 いいよねえ、こういうの。同じ「分からない、けど好き」という体験を、お互いの言語であべこべに共有できて。嬉しかった。とっても幸せなレッスンでした。

自由への渇望

 最近、海外旅行に行きたくて行きたくてたまりません。旅行の予定もないのにガイドブックをたくさん買ってしまった。

ロシア語圏関係だけでもこんなにある💧

 ボストンバッグも新調٩(ˊᗜˋ*)و 荷物を詰めて、おうちで旅行ごっこやってます^^

 ・・・あっ。

 ・・・よく考えたら。

 たとえロシア語ができたとしても、どうせしばらく旅行にはいかれない。

 仮にロシア語圏に行かれたとしても、どうせロシア語はまだ喋れない。

 ・・・何気にバランスが取れていやしないか?

 どのみち動けない今は、家でロシア語をやって将来の旅に備えろ、ってこと??

 ・・・そか、そか、そういうことか。

 よし、見てろ、旅行に行かれるようになったら、現地でロシア語喋ってみせるから。

 焦ることはない。時間はまだだっぷりありそう。悲しいかな。

 ちくしょう、自由への渇望を、エネルギーに変えてやる。

 海辺に沿って歩き、太陽に向かって歌を歌ってやる。(Мы по бережку идём, Песни солнышку поём.) 

 ロシア語圏のガイドブックを眺めながら、ロシア語頑張りまっす!

(またブログを書いているうちに結論が出てしまった^^)

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