英語

自分撮りの恐怖

 またまたカラオケ行ってきちゃいました。またFrozen三昧で7時間^^。

 でももう行かない、って決めました。

 実は、iPodで動画で撮ってみたんです。自分の歌声を客観的に聴いてみようと思って。そしたら夢から醒めた。マイク持って歌っているときは歌手にでもなったつもりで歌っていたのに、録音を聞いて、血が引いた😱

 脳内ではこんな感じに歌ってるつもりが↓

 THE GATE--------------!!

 実際はこんな感じ↓

  ゲ ~~~~~~tっ

 もう、どこがどう悪いとか、そんなレベルじゃなく、全部ダメ

 恐怖のあまり、聴き終えた瞬間、動画削除。証拠隠滅。

 もうカラオケには行かない。もうマイクを持って歌わない💦

 あともう一つ。もう動画は撮らない

 実は最近、ちょっと思ってたんです。スカイプレッスンや自分の音読を録音してみようかな、なんて。

 でもやめた。

 たしか関口先生の本だったと思うんですが、毎日のように自分の話すドイツ語をテープに取り、それを聞いて欠点の克服に努めた、という話が載っていて、いつかそのうち自分もやってみようかと思っていたんです。で特に最近、英語がマシになってきた気がするので、これに気を良くして、一度やってみようかな、と。

 でも、主観というものがいかに底上げされた結果であるかを思い知った今、そんな危険な賭けに出るのはやめました。わたしにとっちゃ、歌はどうでもいいけど、外国語はずっと続けたいので。

 前向きに活用できれば、効果は高いかもしれないけれど、ヤル気を失うリスクも高い。せっかくいい気分で甘い夢を見ているときに、わざわざ現実を直視する必要ないのでは・・・。

 でも、思えば去年はずいぶん頑張った。着付けに励み、自分の着姿を写真に撮りました。右から左から、前から後ろから、たっくさん。

 そして細かーくチェック。背中心からはじまって、着丈の長さ、おはしょりの長さ、衣紋の抜け具合、お太鼓の形、、胸元のシワ・・・。ものすごーく気の進まない作業でしたが、それをせずに着物で外出するのはもっと怖かったので頑張った。

 写真を撮らずとも、鏡でチェックできそうなものですが、鏡と写真は違う。鏡だとなんとなくうまく着れているようでも、写真に撮るとガクゼン、ってことがよくある。鏡の中の自分はまだ自分の延長なんでしょうね。鏡は主観的に見る。それに引き換え、写真はウンザリするほど客観的。

 これを1年続けたら、さすがにイヤになり、今年は一切やめましたが、本気でうまくなろうと思ったら、外国語でもこういう自己チェックが必要かも、とは思う。

 でも・・・ポジティブに活用する自信がない(;_;)

 どうして自分が検定試験を受けるのか、また一つ分かった気がする。

 到達度は測りたい。でも自分の目で測るのは怖い。だから代わりに人に測ってもらっているのかも?

 試験なら落ちたところで、「はい、不合格」で済むもんね。歌だって、のど自慢大会で「カーン」と鐘一つ鳴らしてもらったほうがまだしも気がラク。

 試験に落ちるのは「一定のレベルには達していない」というだけの話で、全否定ではない。でも自分は、「ハイ、ここがダメー、そこもダメー、あそこもダメー! 全部ダメー!!」てな具合に頭ごなしに否定してくる。

 どうしてそういうことになるかっていうと、たぶん日ごろ、究極の理想でイメージトレーニングしているからだと思う。

   お気に入りの歌手をお手本に歌を歌い、

   雑誌のグラビアをイメージしながら着物を着、

   ネイティヴ・スピーカーを真似て外国語を話す。

 憧れのイメージで頭がいっぱいになっているところに、いきなり自分の現実をつきつけられるんだもの、そりゃあちょっとやそっとの上達なんて見えないよ。

 でもじゃあどうすればいいのかっていうと・・・???

 ・・・っていう話を夫にしたら、こんなアドバイスをくれました。

 うちの夫、ダンスが趣味で、ときどき自分が踊る姿を誰かに頼んでビデオに収めています(わたしが撮ることも)。でもそれを自己反省の道具として活用するには、ちょっとしたコツがあるんですと。

1.なるべく初心者のうちに一度目を撮る。

 自分のヘタさ加減の衝撃は一度目が一番大きいので、まだヘタで当たり前の頃に撮る。

2.自分だけでなく、他の初心者もさりげなく画面に入れる。

 自分だけが特別ヘタなわけじゃない。初心者なんてこんなもの、と自分に分からせる。

3.ある程度の実力がつくまで、ビデオを自己反省の材料としない。

 初心者は自分のビデオを見ても、自己反省などできないばかりか、ショックでヤル気をなくすのがオチなので、撮ったビデオを見たくなければ見ない。

 ビデオが自己反省の素材として活かせるようになるのは、ある程度の実力がついてから。

 ある日自分のビデオを見て、「ここはうまくいったな」とか「ここ上達したな」と思える日が来る。そうなって初めて、ビデオが自己反省の道具として真価を発揮する。

 これは夫が自分の経験から悟ったこと。夫にもいろいろと苦労があるんだと思う。なんたって彼の理想は世界チャンピョンのアルナス・ビソッカス&カチューシャ・デミドヴァ組だもの。まだ初心者だった頃から、夫は彼らのビデオを中毒のごとく見ている。

 彼らと比べたら、プロのダンサーだってしょぼく見えちゃう。そんな至高のイメージを胸に抱きつつ、自分のビデオ見るのって、けっこうハードルが高いと思う。よくビデオなんか撮る気になるな、と思ってた。

 でも、そか、撮っても見ないという選択肢があったのね。それは気づかなかったな。

 でも・・・。わたしの場合、撮ったら見たくなるだろうし、見たらショックを受けるだろうし、ショックを受けたらヤル気をなくすだろうし・・・。

 ・・・ううーーーー。難しいわ・・・。

 ま、ここにこうしてコツをメモっておいて、いつかそのうち挑戦するかもー。英語とかじゃなく、トルコ語とか、その次に始める言語あたりで。

チュニス・シディブサイドの名所の一つ、カフェ・ド・ナット
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