英語

90万語突破 ダイレクト・メソッドとしての多読

 多読の二大利点のうちの一つは、「始めるレベルを選ばない。ペースを選ばない。本を選ばない」間口の広さだと思う、と前回書きました。今回は、もう一つの利点について書きます。

 それは、

 種を蒔きながら、同時に成果を刈り取る。

 ことだと思います。

 英語の本を読むことで、英語力をアップさせようとしているのだから、新たな英語の種を蒔いているわけです。でも同時に、英語の本を読めること自体、何がしかの英語経験や実力があるからこそできることで、これまでの学習成果を刈り取っているとも言える。現在の英語力の恩恵を享受しつつ、更なる恩恵の享受を目指す。それが多読という学習メソッドの大きな特長ではないでしょうか。

 で、なぜそれが良いかというと、「挫折しづらい」から。

 学習というのはとかく種を蒔くばかりになりがちで、刈り取りの喜びを感じる瞬間が少なく、ややもすると刈り取りの瞬間は永遠にやってこないかのように感じたりします。だから刈り取らないうちに、それどころか、まだ芽も出ないうちにイヤになってやめてしまう。

 でも、「外国語を学びつつ(種を蒔きつつ)、外国語で楽しめる(成果が刈り取れる)」としたら・・・? これはどう考えても挫折しづらいでしょう^^。

 しかも多読は「無理しない」という時点で、「種まきより、刈り取り優先」です。だから、今蒔いている種の芽が出るのを気長に待てる。わたしも最初は、「多読をやっても成果が出なかったらどうしよう?」なんて心配したりもしましたが、あるとき「多読とは、種まきである以前に、刈り取りである」と気づいてからは、未来の成果はどうでもよくなりました。だって、今が収穫の真っ最中なんですよ。なのに次の収穫のことを考えてどうしますか。鬼に笑われます。

 この「種を蒔きながら、同時に成果を刈り取る」という特長は、多読に限ったことではありません。ダイレクト・メソッドもそう。ダイレクト・メソッドとはまさに、「種を蒔きながら、同時に成果を刈り取る」学習法なのだ、と、多読を経験したことで気づきました。

 ダイレクト・メソッド(直接教授法もしくは直接法)というのは、学習者の母語ではなく、学習の対象となる言語のみを使って教える、外国語の教授方法です。有名な会話学校ベルリッツなどはこの方法を採用しており、わたしがアラビア語を学んだ学校も、まさにこのやり方です。

 でも実はこのダイレクト・メソッド、はっきり言って日本人には人気がない(笑)。文法の説明から読解の講釈まで、すべて対象言語でなされるので、半分しか分からない。痒いところに手が届かない。それが、隅から隅まできっちり理解したい几帳面な日本人にはもどかしいのでしょう。

 でもね、こう考えたらどうでしょう。「半分しか分からない」じゃなく、「半分も分かる」と。学習している言語でなされた説明が半分も分かるって、すごいことではないですか! 対象言語を理解する力を、確実に持っている証拠です。学習言語で説明を聞くことは、「種まき」である前に、「成果の刈り取り」。「分からない部分があった」と落ち込む前に、「分かる部分があった」ことを喜べばいい。

 とはいうものの、その感覚を知ったのは、わたしもつい最近です。多読を始め、英語が読める楽しさを満喫し始めてからのこと。ある日、アラビア語のクラスで、先生がアラブの文化について、あれやこれや、思いつくままに話をしてくれました。その話があまりに面白かったので、わたしたちはたまに質問をはさむ程度で、あとはひたすら先生の話に耳を傾けていました。

 たまたま気分が乗ったのでしょう。間に10分間の休憩がありましたが、それ以外はほとんど2時間ぶっ続けで先生は話し続けました。終了時刻が来て、先生が「イラリカー(はい、さよなら)」と言ったその瞬間、わたしは多読で一冊読み終えたときと同じ、なんとも言えない幸せ~な気分に包まれました。伸びをしながら、「あー、面白かったーーー!!」と、思わず大きな声で言ってしまいました。

 周囲を見回せば、クラスメートもみな夢から醒めたような顔をして、大きなため息をついたあと、ニコニコしながら口々に「面白かった」「良かった」と言いつつ、肩をまわしたりなんだり、ストレッチしていました。

 そのとき、わたしは、「これは成果の刈り取りだ」とはっきり感じたのです。こんなに面白い話が聞けた。アラビア語を習っててよかった!と。この話を聞いたことでアラビア語力が上がるかどうか、そんなことはどうでもいい。アラビア語力があったからこそ、2時間、話に夢中になれた。それだけでもう大満足でした。

 アラビア語の学校を卒業してから約1年、週2回の卒業生クラスに前期・後期と、二期通いましたが、卒業生クラスは週にたったの4時間。これでは更なる上達どころか、卒業時の状態維持もおぼつかないのでは?と焦りを感じることもありました。

 でもよく考えてみれば、卒業生クラスなんてまさに、「これまでの成果を刈り取る場」にうってつけではないですか。今後は、新たな種を多少は蒔きつつも、卒業までの苦労の実りを実感することをメインに、楽しい余生(?!)を送ろうかな、なんて考えています^^。

 全く母語を介さず、対象言語の本をひたすら読むことでその言語の上達を図る多読は、ダイレクト・メソードに似ています。いやむしろ、多読はダイレクト・メソードの一つの形と考えて良いと思います。

 その根底にある発想は、「成果の再投資」。今持てるものの利用して、次のステップへの足がかりを作ること。成果を刈り取って、そこで終わらない。刈り取った収穫からこぼれた種が、次の収穫に繋がる。「ダイレクト・メソッド(含む多読)」とは、そういう教授法、あるいは学習法なのではないか。

 英語にしろ、アラビア語にしろ、ダイレクト・メソードの他にも学習法はいろいろあって、種を蒔こうと思えば、いくらでも種を蒔くことができます。

 でも、成果の刈り取りまでを含んだ学習法は、多読を含むダイレクト・メソードのほかにはあまりない。通常の学習法は、収穫の喜びに欠けます。だからこそ、収穫の喜びを味わうために、みんな、レベルチェックやらTOEIC、検定試験などを喜び勇んで受けるわけです。

 もちろんわたしもその一人なわけですが、多読やアラビア語のクラスで成果の刈り取りを経験して、思いました。検定試験など、長期サイクルで成果を実感するのも大事ですが、それだけでなく、日々の収穫の喜びを感じることに、もっと貪欲になってもいいんじゃないか、って。

 つまりこれからは、「種まきより刈り取り中心で行こう」と決めました。「もっと種を蒔かないと」、と焦らない。

 今後は、これまでに学んだ言語を活用して、読んだり聞いたり話したりを、もっと楽しもうと思います。

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