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60万語突破 音声と文字 朗読を聴く楽しみ

 大好きな「がまくんかえるくん」の朗読を聴きながら2010年を見送り、2011年を迎えました。最近は「読むこと」より「聴くこと」に傾いていて、とにかく「音」を聴くのが楽しい。英語を読んでいる時間より、聴いている時間のほうが長い日々です。

 「がまくんとかえるくん」の話を少し前に書きましたが、依然としてこの朗読CDにハマっています。まさにこれはわたしにとって運命の出会い。そこには、全く予期していない世界が広がっていたのです。

 絵本を読んだ時から「Frog and Toad」が好きで、だからCDまで買ったのですが、著者による朗読を聞いて、本を読んだときには気づかなかった面白さに気づき、ますます好きになりました。本は何度も続けて読む気にはなりませんが、朗読は何度続けて聴いても飽きない。一度聴くごとに発見があり、聴けば聴くほど面白いのです(audible.comで試聴できます)。

 何がそんなに面白いのかというと。ちょっとした声の調子、絶妙な間合いがなんともおかしいのです。特に一番愉快なのが、「無言の間」。主人公のがまくんとかえるくんが巡らせる様々な思いが詰まっていると感じられる一瞬の間が愉快です。

 たとえば。「They were sad for a while(二人はしばらくがっかりしていました)」というナレーションのあとに一瞬の沈黙があります。この瞬間、頭のてっぺんに目のある二人が口をヘの字に曲げ、同じ顔をして天井を眺めている様子が目に浮かび、まずはその図で笑えます。

 ところが次の瞬間、もうかえるくんは落ち込みから立ち直ります。冷静なかえるくんは、落ち込んでいても、実はいろいろ考えていたんだと思うと、その如才なさにまた笑えます。

 さらに、実際にがっかりしていたのはがまくんだけで、がまくんのがっかり気分を一瞬引き受けてしまったかえるくんの付き合いのよさにまた笑える、といった具合。

 ・・・う~ん、面白さを説明するのって、難しいなあ・・・。こんな書き方で分かってもらえるかどうか、自信がありませんが、とにかく。「Frog and Toad」の面白さというのは、性格の違う二人の気分の同期と乖離、波長の一致とずれ、影響を受けたり受けなかったりにあるのだと、朗読を聴いて初めて気づいたのです。

 ではなぜこうした面白さに、文字を読んだだけでは、そして挿絵を見ているだけでは気づかなかったのでしょうか。なぜ音声ならば、それに気づけたのでしょうか。

 たぶんそれは、文字と音声の持つ情報量の違いからだと思います。声音、抑揚、話すスピード、間合いなど、音声は、文字とは比較にならないほどの膨大な情報が含まれている。

 日本語は比較的、文字でも情報量が温存できる言語なので気づきにくいのですが、たとえば英語の「I love you」という言葉。文字に書き表された「I love you」は、それが男性の言葉なのか、女性の言葉なのか、子どもなのか大人なのか、誰に向けられた言葉なのか、どんな気持ちがこめられているのか、これだけでは何も分かりません。でもこれが音声ならば、声の質によって話者の年齢や性別がある程度推し量れるし、抑揚や声音によって、こめられた気持ちを想像することができます。

 これまでわたしは「音声」と「文字」を同じ比重で見てきて、しかも「文字」を読むことより「音声」を聴くことを苦手としてきましたが、「文字」と「音声」とをそもそも同じ土俵に乗せること自体がおかしい。

 そもそも言語とは、圧倒的に、「音」なのだ

と思い知りました。

 「文字で記された文章」というのは「楽譜」のようなもので、作者の頭の中に流れる音声を、「発音」という側面のみ切り取って記したものに過ぎない。本来、言語とは「音」であり、「文字」は発音記号でしかないのです。元の言語に含まれていた発音以外の多大な情報は、文字にする段階で全て失われる。失われた部分は想像で補うしかないのですが、読み手の想像力が追いつかないこともあります。行と行の間に流れる呼吸が受け手に伝わるかどうかは、読み手の力量による。伝わらない人には伝わらないわけです。

 わたしも、「Frog and Toad」を文字で読んだ受け取った情報といえば、文字に書かれているストーリーの内容をただそのまま受け取っただけで、その背後にある大きな世界を想像するまでには至りませんでした。著者による朗読を聞き、文字にする際に失われた情報を得て初めて、そこに文字が示す以上の豊かな世界が存在することに気づいたのです。

 朗読は、文字を音に置き換えた二次創作だと思っていましたが、違うんですね。「朗読」は、むしろ「還元」に近い。特に著者による朗読は、こっちがオリジナル。だから無言の空間までを含め、伝える側のメッセージが正確に伝わりやすい。

 最初は「正しい発音」を知りたくて購入したCDでしたが、そこから得たものはむしろ「発音」以外の情報の大きさだったというわけです。「正しい発音」を求めて朗読を聴こうとしていたなんて、ずいぶんと勿体ないことを考えていたものだと、今は思います。

 Frog and Toadで目覚めて以降、他にも、絵本の朗読CDをよく購入するようになりました。日本では朗読が出ている本って珍しいと思うのですが、英語は絵本をはじめ、本の朗読が非常に多いのです。最初は英語学習者のため、或いは視覚障害者のためかな、と思っていたのですが、出ている数からすると、たぶんそれだけじゃないですね。もっと広く、子どもを中心に、音声を聴くことが一般化しているのかもしれません。

 1冊の本に対し、複数の朗読が存在する場合もそう珍しくはありません。それぞれ別の朗読とセットになって絵本が売られていたりするのです。だから「この本の朗読CDはいいよ」という風評を聞いても、それだけで判断するのは危険。朗読者が複数いる可能性を考え、朗読者の名前を確かめて、試聴して買うようにしています。

 朗読CDには、朗読だけのものと、音楽や効果音までが入っているものがあります。両方収録されている場合もあります。わたしが好きなのは、音楽・効果音つきのものです。朗読における音楽・効果音は、本における挿絵のようなもので、これがあるとますます聴くのが楽しい。音楽+朗読の強力タッグは、場合によっては絵本の威力をしのぐほどで、音楽+朗読に絵本が揃うと、もう完璧です。

 とはいえ、Frog and Toadのように音楽・朗読・絵本共に完璧なものはなかなか見つからないのですが、サイフの紐が固いわたしも、これが揃うと、買わずにはいられないので、懐具合を考えると、なかなか見つからないくらいでちょうどよいのかもしれません。

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