アラビア語

アラビア語学校の日常16 卒業生クラス

 今日からまたアラブ・イスラーム学院に通い始めました。週2回、3ヶ月間の卒業生クラスです。クラスの人数は10名。順番待ちが出ることもある人気の本科と違い、クラス成立の条件人数ギリギリの出発となりました。

 しかし集まってきたのは錚々たるメンバー。20年以上もアラビア語を続けている方、ウィークディの夜は全て種々のアラビア語教室で予定がいっぱい、という方・・・。このディープさが嬉しい。わたしもせいぜい皆の刺激をもらって頑張ろうっと♪

 久々の授業は本当に楽しかったです。今日は作文。それぞれ9つの絵が描いてある2枚プリントが配られ、1枚目はそれぞれの絵について「もし〇〇ならば、わたしは◇◇します」という形の文章を作ること、2枚目は「〇〇する前に、わたしは◇◇します」という形の文章を作ることでした。

 たとえば晴れの日に洗濯物を干している様子と、雨が降っていて洗濯物が干せない様子が描かれている絵から「もし晴れたら、わたしは洗濯物を干します」「もし雨が降ったら、わたしは洗濯物を干しません」という二つの文を作るわけです。

 こういうの、みんなでやると面白い! 同じ絵を見ても、読み取るものは人それぞれ微妙に違うからです。

 たとえば上の絵を見て、わたしはこの子はコップで川の水を汲んで飲むつもりだと思いました。でも友だちは川で缶ジュースを冷やして飲む、と解釈した。んー、言われてみれば、そんな気もするな^^。

 それでも日本人の見方は所詮似たり寄ったりです。アラブ人の先生の読み方に比べたらね。先生の読み方は突拍子もなく違う。先生は同じ絵を「女の子がどこかで遊んでいる」と読む。「食事の前にわたしはジュースを川で冷やします」と書いた友達は「川なんてどこにあるんだ」と言われていました。「ここにある」というと、「なぜこれが川なんだ」というお返事。確かに簡素な絵だし、しかも絵の下のほうは欠けちゃってるしで、左下にあるのが川だという確証は、よく考えるとどこにもない。

 でも日本人ならたいていの人が、この絵を「川べりで釣った魚を焼いて食べようとしているところ」と読むと思います。「なんで」といわれると困るけど、この左下にちょっと見えるのは、海でも湖でもなく、まして砂場などでは決してなく、川なのであります。日本人にとってはね。

 でもそれって川で魚釣って食べた経験とかテレビドラマの影響などから作られた「文化」あってこその解釈であって、日本人なら誰でも似たり寄ったりの経験をし、似たり寄ったりのテレビ番組を見て育っているから同じような解釈をする。でも先生の故郷では川で取った魚をその場で焼いて食べたりしないのかもしれないし、砂漠の中をとうとうと流れる大河ナイルでジュースを冷やしたりしないのかもしれません。だから左下にほんのちょっと見えるショボイのがまさか川だとは思わないのかもしれない。

 他の絵に関しても、先生の模範解答はわたしたちにしてみれば『珍回答』続出でした。わたしたちがどうみてもタマネギだと思うものは、先生には果物に見えるらしいし、私たちが「娘の部屋」に見える場所が、先生には「事務所」に見えるらしい。でもわたしたちに「娘の部屋」と判断させるものは、椅子の形であったり、掃除機の形であったり、女性が身に着けているエプロンという名の服の形だったりするわけで、いずれも会社のオフィスにだって普通に存在するものです。ただ「ちょっとした形の違い」から「これは事務所ではなく一般家庭の部屋だ」と判断するのですね。

 最後に笑ってしまったのは、彼女とのデートを想像してニヤニヤしながら歯を磨いている若者の絵を見て、みんなが一斉に「ハビービー(僕の恋人)と出かける前に、僕は歯を磨く」と書いたら、先生は「なんでだ、どうしてみんな『ハビービー』と書くんだ、これは『ザウジャティー(僕の妻)』じゃないか」と言い張り、しまいには模範解答を「友人たち(男性を含む3人以上の友人)と出かける前に、僕は歯を磨く」にしてしまったこと! イスラム的には結婚前の男女が二人きりで出かけるのは許されないことなので、こういう解釈になるのでしょうね。先生もこの苦肉の策にご自分でも笑っておられました。

 わたしにとっては、アラビア語以前に、こうした文化のやり取りが楽しいのです。

カーバの神殿タピストリー
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