アラビア語

アラビア語学校の日常4 仲間がいるということ

 学校に行くと決めたとき、心配ごとがたくさんありました。まず、毎日通いきれるのかどうか。クラスの中で人とうまくやっていかれるかどうか。そして、それまで好き勝手に学んできたアラビア語が、学校のカリキュラムに従わざるをえないことにより、つまらなくなってしまうのではないか。

 ふたを開けてみれば、なんのことはない、毎日忙しいながらも、とりあえずこの2ヶ月間は皆勤賞で通いましたし、友達もたくさんできました。仲間と共に学ぶ外国語の楽しさは格別で、独習しているときすでに「これ以上楽しくなることなどありえない」と思っていたほど楽しかったアラビア語学習は、学校に入ってからますます面白くなりました。

 だって、家の壁に向かって「アッサラームアレイクム」と唱えていたときには決して返ってくることのなかった返事が、学校なら「ワレイクムッサラーム」と間髪をいれず返ってくるんですもの。こんなに楽しいことはない。受け手がいるっていいなあ、と思います。

 また、仲間がいると自分の学習のペースが保ちにくく、効率が悪いかと思ったのに、逆なんですね。仲間がいることで、却って効率が良い部分が多々あります。自分の得手不得手を仲間と補い合えるからです。

 学校で同じ授業を受け、同じことを学んでいても、人の数だけ勉強法があり、人の数だけ上達のしかたがあるんですね。文法が得意な人、語彙力がある人、耳が良い人、発音がきれいな人、音読が得意な人、暗唱が得意な人、文字が上手な人…。アラビア語を始めてまだ1年未満の人が多いこともあって、何でもござれのスーパーマンはおらず、また、何をやってもダメ、という人もいません。

 たとえば、わたしはテキストの音読が本当に苦手。似たような形の子音やら母音記号やらで頭がパニックしてさっぱり読めず、まず間違いなく、クラスで一番ヘタクソです。でも、自分の思ったことや質問をアラビア語で即興的に表現するのはけっこう得意。文法や発音はむちゃくちゃですが、どんな場面でも何かしら言葉が口をついて出てきます。

 たぶんみんなもこんな感じで、それぞれに得手不得手、でっぱりやひっこみがあって、デコボコしているんじゃないかと思います。そして、こういうデコボコな仲間ってとっても素敵。「三人寄れば文殊の知恵」というけれど、みんな得手不得手が異なるからこそ、補え合える。特にここの授業はすべてアラビア語で、先生方はほとんどまったく日本語ができないので、授業を理解するにも仲間同士の協力が必須です。難解な読解の授業に至っては、クラス中の文法知識、語彙力、読解力、アラブの風習・イスラムの戒律に関する知識など、もてる力の一切合切を総動員し、皆で理解にたどり着く。

 また、アラビア語を理解するのに必要なのはアラビア語力だけではないんですね。たとえば、英語力はけっこう大事。先生方は英語なら喋れるので、どうにも意思の疎通がとれなくなったときの最後の手段は英語だからです。また、中級以上の辞書となると、アラ日辞書は出ておらず、アラ英を引くことになり、ここでも英語力が必要となります。英語を中心としたグローバリズムに疑問を抱くマイナー言語の学習者としてはちょっと悔しいのですが、現実問題として、英語はやっぱり便利です。

 英語力のほかにも、質問ひとつするにも、まずは積極性が必要だし、具体的にどこが分からないかを自分の中で整理する判断力、意図を分かりやすく相手に伝える伝達力があればモアベター。多方面からの情報収集力また、朗らかな笑顔や、思わずみんなが吹き出してしまうようなタイミングの良い一言を発する才能もすごく大事だなあと思います。クラスが明るくなって、ますます学習が楽しくなるから。

 こうした一人一人の持てる力は、そのままクラスの共有財産です。みんなそれぞれ必要な力を分散して持っていて、誰かが持っている力はみんなで共有できる。誰かが質問すれば、その答えはみなの共有財産になるし、分からないところは互いに教えあって補い合う。「上のクラスから下のクラスへと個人レベルで代々伝わる資料や便利なツールはコピーし合って共有する。こうした連携プレーに持ち込めると、世の中はまことに効率がよろしい。

 ホント、社会ってうまくできているもので、必要のない人なんていないんですね。背負ってるようだけど、わたしは自分自身にだって存在価値を認めています。ヘタだろうがなんだろうが、とにかくアラビア語を喋りまくること。何しろ毎日往復1000円以上の交通費をかけて学校まで通っていますからね、この交通費のモトをとらにゃあならんという気合が入っていて、そのモトのとりかたといったらただひとつ、アラビア語でしゃべることだと思っていますから、そういうチャンスはいかなるものでも逃しません。間違えようが、つっかえようが、とにかく喋る。「アラビア語で歌え」といわれれば、ヘタな歌だって歌います。こういう破れかぶれな積極性だけは誰にも負けない。で、以前は英語で質問をしていた人が、最近はアラビア語で質問しているのを見ると、「これはわたしの功績かな」って勝手に思ってニンマリしています。

 それから、わたしが一番すごいと思うのは、留年しても毎日きちんと通ってくる人。半期ごとの進級テストはかなり難しいらしく、学校の求める一定のレベルに達しなければ、理由の如何を問わず留年となって進級できません。欠席が多すぎればその進級テスト自体受けられないし、何かの事情でテストを受けることができないだけでも、追試などの措置なく自動的に留年となります。

 これまでに受けてきたのと同じ授業を半年分、もう一度受けなおすことに決まったときって一体どんな気持ちでしょうね。きっとすごくがっかりするんだろうな、一気にモチベーションが下がるだろうな、人の目が気になって辛いかもしれないな。もし自分だったら、学校続けられるかなあ? やめてしまうんじゃないかなあ、と思います。実際、それを機会に辞めてしまう人もいるようです。でも、留年してもきちんと通ってくる人も少なからずいる。それがすごいと思う。その粘りと意思の強さには心から敬服するし、それを当たり前なこととして受け入れるこの学校の雰囲気が好きです。

 仲間との協力体制により、人の持てる力は自分も共有でき、人が持てる財産によって自分も潤う。となると、仲間の進捗は是即ち自分の進捗、大いに歓迎すべきことであります。でもそれが分かっていてなお、人間は時々、人と自分を比べて不安になる。そんなとき、わたしは「学生の心構え」に書かれた言葉を思い出します。

 「他人の進捗に気をもんで、自分のペースを乱さない」。構内での禁煙、掲示板の定期チェックなど一般的なルールに混じって書かれたこの一文、最初にこれを見たときには、わざわざこんなところに書くようなことかな、と思いました。でも、明記された言葉って強いんですね。仲間と自分を比べてふと不安になったとき、この言葉は自分を立て直すきっかけとなる。「わたしはわたし」と思い直すのです。

東京ジャーミー
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