フランス語

フランス語の思い出

 今、ブログを整理している関係で、過去記事を読み直しています。自分でも忘れていた懐かしい記憶を掘り起こしましたので、それを元に、これまでの思い出と今後の抱負を言語ごとに書きます。

 まずはフランス語から。


 わたしがフランス語を始めたのは2005年4月、42歳のときのことでした。

 当時、高校1年生の長女が夏休みにバレエ学校の夏期講習に参加することになり、モナコまで送っていくことになりました。それでフランス語がちょっと分かったらいいなと思い、学習を始めたのです。

 最初は、娘が週に2日、高校で習ってくるフランス語を復習がてら教えてもらい、週に1度NHKのテレビ講座を見る程度でした。これが楽しくて、娘のフランス語の授業がある日は、娘の帰りが待ちきれませんでした。そのうちもっと早くいろいろなことが知りたくなり、入門書を一冊購入。自分で読み進めることにしました。

 フランス語は、外国語といえば挫折経験ばかりだったわたしに初めて達成感をもたらしてくれた言語です。フランス語を始めてわずか数か月の間に、わたしは様々なことを達成しました。

  • 薄い入門書を一冊最後まで読んだ
  • 語学検定の一番下の級に合格
  • 現地でフランス語が通じた

 これらはどれも、人から見たら、大した成功ではないかもしれません。でもわたしにとっては、外国語学習における、初めての大勝利でした。この達成があったからこそ、17年経った今でもわたしは外国語学習に夢中で、細々ながらフランス語も続けているのです。


 さて、夏にフランスへ行き、帰ってきてからもフランス語は続けました。毎日1文フランス語で日記を書いたり、別の入門書を読んだり、フランス語会話集を一冊ノートに丸写ししたりと、思いつくままにいろいろやりました。特にこの頃好きだったのは「金色の眼の猫」という入門書(絶版)。かつて好評だったNHKのフランス語講座を本にしたもので、約30分のCDを何十回と聴きました。今でもこの本に出てきた表現がわたしのフランス語の土台となっています。

 秋にも検定試験を受け、3級に合格したところまでは万事順調でした。大変だったのはそこからです。翌年の春に2級を受けようとして、問題集を買ったはいいが、その問題集が難しくてこなせない。嫌々ながら試験勉強をし、なんとか合格を勝ち取ったものの、試験後はすっかりフランス語が嫌になってしまいました。

 そのくせフランス語で味わった達成感は忘れられず、また別の言語を始めては、フランス語の時と同じことを繰り返し、達成感を味わいました。

 娘がフランス語を続けていたため、フランス語に触れる機会もちょくちょくあるにはありました。当時はまだ、大学に進学した娘よりも、わたしのほうがいくらかできたのではないかと思います。フランス語の予習をよく手伝い、「ママのおかげで、今日の授業も優等生のふりができた。ありがとう」と娘から感謝されていました。


 次にフランスに行くチャンスが訪れたのは2011年。リヨンに1年間交換留学していた娘に家族で会いに行った時です。フランスに行く前に少しはフランス語をやり直したつもりでしたが、いざ現地でフランス語を使ってみたら、6年前から大して進歩していないことに気づきました。

 一方、留学していた娘はさすがに大きく成長していました。わたしはフランス語を話す機会を見つけては張り切ってフランス語を使ってみるのですが、相手からちょっと難しい返答が返ってくるともうお手上げ。いきなり娘を前に押し出し、自分は娘の背中の影に隠れて、あとは彼女に何とかしてもらう、の繰り返しでした。そのくせ、自分でも対応できそうな場面にまた出くわすと、突然娘の肩ごしに顔をひょっと覗かせてフランス語で口を挟むという卑怯ぶり。その様子を呆れて見ている夫と下の娘の視線が痛かったです。

 わたしは定型的なやり取りならなんとかこなせるものの、話の展開が自分の予測から一歩でも外れると、もうお手上げ。一方、娘は想定外の事態においても、それなりにフランス語で対応できる。娘とわたしの語学スキルにはそういう決定的な違いがありました。

 たとえばFnacで「2冊買えば3冊目はタダ」と書いてあるワゴンを見つけ、6冊レジに運んだときのこと。レジの人にダーーッと何かを言われ、頭の中は真っ白に。慌てて娘をレジの前に突き出し、レジの人の言うことを聞いてもらうと、「タダになる3冊目はどれでもいいわけではなく、値札のついていないものから選ぶことになっている。ここにある6冊の中で値札がついていないのは1冊だけなので、このままだと特典が充分に生かせないけれど、どうしますかと聞かれている」とのことでした。

 あー、娘がいてくれて本当によかった。こんなに複雑なことをフランス語で聞き取るのは、わたしにはどう頑張っても無理でした。いつの間にか娘とわたしの立場が逆転している。6年前、娘をモナコに連れて行ったわたしは今や、その娘のサポートなしにはセール品の本さえ買えない。たった一週間のフランス滞在で、これと類似の経験に何度も出くわし、母親として娘の成長は嬉しいものの、自分のフランス語の使えなさ加減にがっかりしました。

 最初にフランスに行ったときは、定型的なやり取りができて「フランス語が話せた!」と大喜びしましたが、久々に訪れた二度目のフランスでは、もうそのレベルには満足できませんでした。娘のように、ちょっと変化球が飛んできても、それなりに投げ返せるようになりたい、と切実に思いました。


 あれから11年。その願いはまだ叶っていません。時々フランス語で本を読んだり、オンラインレッスンでたまにフランス語を話したりはしていますが、いかんせん密度が薄すぎ、何ら進歩はしていません。

 それでもわたしはまだフランス語を諦めてはいません。そのうちまとまった時間ができたら、他の言語を全部中断し、半年くらいフランス語だけに浸かってみたいと密かに夢みています。目指すレベルは、11年前の、あのときの娘のレベルです。

 

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