アラビア語

アラビア語学校の日常14 卒業

 昨日は卒業式でした。金色のふちどりのついた黒くて長いガウンを引きずり、コケそうになりながらも、無事卒業証書を頂くことができました。・・・って、実は証書はレプリカなんですけどね。ホンモノの証書は、本国に送って学長サインを頂いたのち、日本に送り返され、手元に届けてもらえるのだそうです。

 卒業式のあとは、友達や先生方と大撮影会。いつもはあまり写真を撮りたがらない先生方も、今日だけは無礼講。快く付き合ってくださいました。その上、どさくさに紛れて憧れの本田孝一先生ともツーショット^^。本田先生は、この2年間、わたしのアラビア語学習を支えてくださった方です。もし本田先生の本や辞書がこの世になかったら、わたしは絶対アラビア語を学んでいなかった。先生の本があったからアラビア語に興味を持ち、先生の辞書があったから、アラビア語学習を続けてきました。その本田先生が卒業式にいらして、本当に嬉しかったです。

 入学から卒業まで、長い長い1年半でした。本当は2年の課程なのですが、わたしは途中から編入したので1年半。それでも長かった。入門クラスを飛ばして入ったツケは大きく、一からキチンをやったほうがよかったかなあと後悔したこともありましたが、わたしに2年はたぶん無理。勉強と通学、家事との両立が大変でいつもアップアップしていました。体調も壊しがちで、ホントにきつかった。他には仕事などもせず、たった1年半。それでこれです。だからきちんと2年間通い続けた仲間を心から尊敬します。中には、仕事をこなしつつ、もしくは他の学業との両立を果たしつつ、卒業した仲間もいるのです。

 確かに大変でしたが、本当に楽しい1年半でした。毎日海外に留学しているような、エキゾチックな1年半でした。いろんな肌の色、いろんなことばを話す人がいました。アラビア語日本語だけでなく、英語、フランス語、インドネシア語、中国語など、様々なことばが飛び交っていました。様々な文化、様々な考え方、様々な宗教を持った人がいました。どの考え方が一番正しいとか、どの文化に特別惹かれるというより、その多様性自体が楽しかった。この日本に、ごく普通の日本人として生まれ、ごく普通の日本人として育ち、ごく普通の日本人と結婚し、ごく普通に生活してきたわたしにとって、みんなの話はまるでおとぎ話。ワクワク心躍らせながら、今まで知ることのなかった世界をほんのすこしずつ垣間見ることができました。

 卒業式の前日に学校に行ったときもそうでした。ちょうど金曜日だったので併設モスクで大きな礼拝があり、イスラム教徒と結婚した日本の女性の方々に、ご主人のお国の話を聞くことができました。

 わたし、なんだかご褒美をもらったような気がしました。実は学期中の課題がまだ残っていて、それをやっと終わらせたのが、その日の朝。徹夜で仕上げて先生に添削をお願いしに、それで学校に行ったのです。そしたら校舎を出た途端、友達に会ってこの展開。礼拝のあとの団欒に混ぜてもらうことができたのです。

 もう卒業は決まっているのだし、課題なんで今更やってもやらなくても大勢に影響はない。面倒くさいし、もうやめちゃおうかな、とも思いましたが、やめなくてよかった。今やらなかったら一生やらないだろうし、これも一つの区切りだし、と思って、頑張って仕上げた甲斐がありました。あの日学校に行かなかったら、しばらく会えなかった友だちに会うことも、彼女がパキスタンのお土産に買ってきてくれたお菓子を食べることも、初めて知り合った人の話を聞くこともなかったでしょう。頑張ったから、神さまがご褒美をくれたのだと思いました。

 とはいえ、学校の課題なんて、本当は学期中に仕上げるべきものですよね。それを卒業式の前日にやっと終えて、それで神さまにご褒美もらっただなんて、とんだ甘チャンかもしれません。だけど、やらないで卒業式を迎えるより、ずっとずっと良かった。何はともあれ、終わらせたのですから。

 ほんと、わたしは甘チャンなのです。そんなにすごくは頑張れない。しかもちょっとやっていい結果が出ないと、すぐ落ち込む。努力家の人から見たら、「一体なんなの? オマエはっっっ?!」って感じだと思います。見ているだけでイライラするんじゃないかと思う。でもしょうがないじゃない? 人間、そんなに簡単に変われないよ。

 この学校でわたしは、とてつもない頑張り屋さんたちに囲まれてしまいました。珍しい文化や宗教を持ち、自信を持って生きている人にもたくさん出会いました。そんな中で、自分なりに指針ができました。

  1. たくさんでなくていい。無理しない程度でいいから、毎日少しは頑張ること。
  2. 高価である必要はない。でも自分に似合う服を選んで着ること。

この二つです。

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