ヒンディー語

ガイアナの先生

 精力的にお茶の間ワールド・トラベル中。毎日日替わりで様々な国の話が聞けて楽しいですが、特に昨日ガイアナの先生から聞いた話が最高に興味深かったので、ここに記します。

 ガイアナは南米の一国。ブラジルの北に並んだ小国の右から数えて3番目。カリブ海に面し、左隣はベネズエラです。

 ワールド・トラベル中、いつもわたしは必ず、先生の母語と他に話せる言語を尋ねるのですが、ガイアナの公用語は英語だそうで、先生は英語ネイティブなのだそう。

 南米にお住まいなのに、スペイン語は挨拶くらいしか分からないそうです。お隣はブラジルだけど、ポルトガル語も同様。

 ところが意外なことに、オランダ語が少しできるそうです。

 なんでオランダ語?と思ったら。実はガイアナは19世紀にイギリス領になるまではオランダの植民地だったそうです。なるほど、それで「ニュー・アムステルダム」なんていう地名があるわけだ。

 ・・・で。ここまでは序の口。本気で驚いたのはここからです。

 なんと先生、ヒンディー語(Caribbean Hindustani)のネイティブスピーカーでもあるそうです。

 南米でヒンディー語? なんで?と一瞬思いました。

 実は先生はインド系なのだそうです。

 ・・・確かに。そういう目で見ると、いかにもインド系らしいお顔立ちです。

 けれどもこの先生がたまたまインド系だった、というのではない。ガイアナの人口の43%はインド系で、最大マジョリティーなのだそうです。ちなみに、二番目に多いのはアフリカ系で、約30%だそう。

 まさか南米で、インド系が最多数派の国があるとは・・・!!

 日常的にヒンディー語()を使い、インド映画を見、インド音楽を聴き、カレーを食べるそうです。

 それを聞いて、ご両親の代あたりにインドから移住してきたのかな、と思ったら「19世紀、great-great grandfather(ひいひいおじいさん)の代にムンバイから移住してきた」というのでまた驚きました。

 信じられない! インドから切り離されて一世紀以上経つのに、インド文化を守り続けているとは・・・! その文化の根強さが驚きでした。

 第二次世界大戦後、日本からも多くの人々が南米に渡りましたが、一世、二世は日本語を話すものの、三世ともなると、そろそろ日本語が話せない人が増えてくるとも聞く。しかしインド系の人々は、ひ孫、玄孫の代になってもヒンディー語を話し、カレーを食べるのですね。

 その違いは、文化の強さの違いなのか、それとも移民社会のスケールの違いなのか。

 わたしはなんとなく、後者の要素が大きいんじゃないかと思ったのだけれど、どうなんでしょう?

 ウィキペディアによれば、ブラジルの日系人は130万。ガイアナの人口は76万ですから、単純に43.5%を掛けるとガイアナのインド系は33万人。数から言うと、ブラジルの日系人のほうが圧倒的に多数ですが、でもあの広いブラジル全体で130万人というのと比べると、ガイアナのリトル・インディアのほうが「濃い」んじゃないかと思うんですよね。だから生活習慣や言語が守られやすい。

 それともブラジルの日系社会も、わたしが知らないだけで、意外と日本文化への執着が根強いのかなあ?? 想像つかないや。

 面白いなー、こういうの。

 先生ご自身はインドへ行ったことはないそうですが、インド文化を誇りを持っておられるのがはっきり感じられ、ワクワクし通しの25分でした。

 こういうレッスンに出会いたくて、世界旅行をしているんだな、と思いました。

 南米は遠いし、中でもガイアナなんていう小国は、なかなか訪れるチャンスがないと思います。

 世界遺産もないし(ガイアナは南米で唯一、世界遺産がない)。日本人は世界遺産がなかったらまず行かない(笑)。先生も「日本人はガイアナでほとんど見たことがない」と言っておられました。

 それに、ガイアナにもし行けたとしても、こんな風に25分間、現地の人と会話をするチャンスに恵まれるとは限らないですしね。お茶の間ワールドトラベルに出てよかった、と心から思えるレッスンでした。

 どのレッスンでもたいてい何かしら「これはこのレッスンでしか聞けなかった」と思えるネタが一つや二つはあるけれど、今回は特にヒットでした。レッスンの内容が面白くても、先生のプライベートに関わる場合が多く、なかなかブログには書けないのですが、今回はガイアナの一般的なケースなので、ブログに書いても支障はないと判断しました。

 ちなみに、わたしが唯一言えるヒンディー語、「バホット・マザーヤ」を言ってみたら、

通じたーーーーー!!

बहुत मज़ा आया।(bahut maza aaya.)

 「とても美味しかった」というような意味だと思っていたのですが、先生によれば「I enjoyed a lot」という意味だそうです。

 自分のヘタクソな発音が通じるのも驚きだったけれど、たとえちゃんと発音できてたとしても、カリブ海沿岸で通じるとは限らないじゃないですか。二重の意味で驚きでした。

 しかし、たった一言でも、言えるヒンディー語があってよかった。

 だって、日頃からインド文化に興味持ってます、ということが、先生にバッチリ伝わったと思うから。

 まさかこんなところでヒンディー語が役立つとは思いもしませんでした。なんでもやっておくものです。

 他にわたしがインド文化との接点として話したのは、夫がインド人IT技術者と仕事をすることもあること、インド計算法というのが一時流行ってやってみたけれど、わたしには難しすぎて理解不能だったことなど。DMMでもインドの先生のレッスンを8回くらい受けていることも話しました。

 レッスンを終えたあとになって、フィジーに行ったときのことを思い出しました。フィジーにもインド系の人々が大勢いたなあ、と。いま調べたら、フィジーの人口構成比は、

フィジー系が56.8%、インド系移民が37.5%

フィジー – Wikipedia

でした。

 フィジーの先住民であるフィジアンとインド系は、肌の色は似ているけれど、性格がまるで違うので、一目で見分けがつきました。フィジアンは無表情で素朴。相手がお客だろうがなんだろうが、人に気を使わない。インド系の人々は大きな目をクルクルとよく動かし、愛嬌たっぷり。相手がお客であろうがなかろうが、目が会うとニッコリして、よく話しかけてくる。個人差を超えた民族の傾向ってあるんだなあ、と感心したものです。

 日頃から特別インド文化に興味があるってわけでもないのですが、こうしてみるとけっこう接点があるものですね。

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