ゲール語

This is a penの効用

 40年近く前、わたしの中学の英語の教科書は悪名高き”This is a pen.”から始まっていました。「ペンなんか見りゃ分かるだろうが。そんな言葉、実際に使うか!」というわけで、使えない学校英語の象徴みたいに言われていました。

 10年ほど前、娘たちの教科書はたしか”Hello.”に変わり、初対面の挨拶から始まっていたような。へええ、と思った覚えがあります。

 Duolingoはどうかというと、最初に出てくる文は「I am a man」です。少なくともわたしがやったことのある4コース(英西・英仏・英愛・土英)に関しては全部そう。「見りゃわかるだろ」的な一文です。

 でもわたし、こういうの好きかも、とDuolingoをやってて思いました。だって、I am a man.という言い方を一つ覚えると、あとはいちいち教えてもらわなくても、好きな単語をあてはめるだけで、「I am a cat.(我輩は猫である)」とか「I am the state(朕は国家なり)」なんてことまで言えちゃうんですから。こりゃ面白くないわけがないでしょう。

 挨拶に関するレッスンも後から出てくるのですが、挨拶に入った途端、つまらない、と感じてしまった。だって挨拶って、ただ覚えるだけなんだもの。

 確かに挨拶は一度覚えたら最後そのままつかえて、使う頻度も多い。旅行なんかでは大活躍です。一日に何度も使う。しかも一語で効果抜群。「ありがとう」を現地語で言うと現地の人がニッコリしてくれて、「外国語が通じたーっ」っていうものすごい満足感が味わえます。

 でも挨拶はただそれだけ。Helloを覚えても、Thank youはまた別に覚えなくてはならない。覚えたこと一つに対し、一つのことしか言えない。

 なぜなら、挨拶はたいてい例外だからです。言語によらず、挨拶言葉はたいていの場合、文法規則に則っていない。日本語の「こんにちは」然り、「ありがとう」も然り。時の流れに洗われて、もはやちゃんとした文の形をとどめていない。

 法則性のないところには応用もなく、挨拶を含め、慣用表現というのは、「そのままズバリ」を知らなくては使えない。応用が効かない。だからある意味、つまらない。

 そこへいくと、「I am a man」や「This is a pen」は、その文自体の出番はレアかもしれないけれど、限りない可能性を秘めている。

 精巧な文法規則にきちんと則っているから面白いんです。型がしっかりしているから、安心して応用できる。一つ覚えると、無限の可能性を手に入れたのと同じことになる。

 しかもその広がり方は、言語によって違う。

 たとえば英語で「I am a man.」と「I like the book.」とでは、前者がコピュラ文、後者は動詞文で、骨格からして異なります。

 でもゲール語は好みもコピュラ文で表現するらしく、「Is fear mé.」(I am a man)の延長上に「Is maith liom an leabhar.」(I like the book)がある(「私に(liom)」、「その本(an leabhar)」は「良い(maith)」)。こういう発想の違いが面白い。

 だから「This is a pen」が使えないだなんて思ったら大間違い。そこにはその言語なりの文法情報が詰まっていて、その応用範囲は果てしないのですから。使えないどころか、ある意味これほど使える文もないと思うのです。

 

クマノミ
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