アラビア語

アラビア語学校の日常7 それぞれの進級テスト

 半年に一度の正念場、進級テストがやってきました。何とかして受かりたい。受かって次のレベルに進みたい。テスト前のこの一月間、考えることといえばそればかり。その割に勉強しないんですよね、わたしってヤツは。「進級テストに落ちたらどうしよう?」と心配するのに忙しく、ほとんどテスト勉強が手につかなかったのだから、あーもー、本当に、わたしってヤツは…!!

 でもアルハムドリラー、おかげさまで結果は「合格」! 昨日発表があり、晴れて次のレベルに進むことが許されました。一緒に次のクラスに進みたいね、と話していた級友たちも、みな合格。次のレベルに進みたいと積極的に願っていた人は、全員合格したように思います。それどころか、進級したくない人まで合格してしまっていたような気も。

 試験前、わたしが驚いたのは、進級テストに向かう気持ちが人それぞれだったことです。つまりもういちどいまのレベルをやりたい人が少なからずいたのです。

 なぜそう思うのか聞いてみると「学校側がどう判断するにせよ、自分はまだ次のレベルに進級するだけの実力を身につけていないと自分には思える。だからもう一度おなじ授業を半年間受けてもっときちんと授業を理解し、納得がいってから次のレベルに進みたい」とのことでした。 

 「進級テストに受かってしまったら、次のレベルに進まなくてはいけませんか」と先生に聞きにいった人もいたそうです。でもおそらく学校側は、いつまでも同じレベルにとどまっている人が多すぎては困るのです。新しい人を迎え入れる余裕がなくなってしまいますから。案の定「進級テストに合格したら留年はできません」と言われたそうです。また、進級したくない人たちが進級テストをボイコットすることを恐れたのか、「進級テストを受けなかった場合、学習を続ける意思がないとみなし、留年も許可しません」という内容の通達が学校側からありました。

 進級したくない人たちと、学校側との攻防戦。それを傍で見ているわたしなどは、ただただあっけにとられるばかり。以前「わたしが一番すごいと思うのは、留年しても毎日きちんと通ってくる人」と書きました。あのときはよもや、わざわざ好んで留年する人がいるとは思ってもみなかった。留年というのは誰にとっても意に反して余儀なくされるもの、試験があるからにはみな受かりたいに決まっている、進級を目前にしたらみな進級したいに決まっている。そう思い込んでいました。なぜって、自分がそうだから。

 学校側としては決してありがたい存在ではないかもしれませんが、「自分の納得がいってから、進級したい」という堅実さを前に、わたしのような人間は、脱帽するしかありません。そうかー、そうかー、そうなのかー、こんな生き方、こんな考え方もあるんだなあ、と。

 それに引き換え、自分は一体なぜこんなに結果を出したがるのだろう? …ああそうか、たぶん、「試験なんてものは、結果がすべて。結果さえ出せれば、実力は後からついてくる」と思っているから。わたしにとって、留年は怖いけど、進級は怖くないのです。次のレベルに上がれさえすれば、それなりに実力もついてくるんだろうと信じているから、だから進級したいのです。

 それに、なにより同じことを二度、半年にも渡って繰り返すのが、わたしはどうしてもイヤでした。この半年間わたしはわたしなりに頑張ったと思う。テスト前は本当にモチベーションが下がってしまい、ろくに勉強しなかったけれど、「とにかく毎日学校に通う」という自分に強いた最低ラインだけは守り抜き、一日も休まず通いました。自分としてはすごく頑張ったつもり。だから半年間頑張った自分に「進級テスト合格」というご褒美をどうしてもあげたかったのです。

 そういえば、留年したいと考えていた人、もしくは留年を恐れていなかった人には、別の言語を習得した経験者が多い気がします。この学校には、アラビア語では生徒だけれど、他の言語では先生をしていたり、通訳や翻訳といった仕事をしている人が多い。そういう人は一様に、みなものすごく気長です。10年以上の歳月をかけて一つの言語に取り組んできた人にとって、半年や一年なんて時間はたいしたものではない。いたずらに先を急ぐより、じっくり取り組むほうが長い目で見た場合、結局早道なのだと経験から知っているのでしょう。

 「急がば回れ」とか「急いては事を仕損じる」ということわざなら、わたしだって知っています。見かけの近道が、本当の近道とは限らないことは、子どものころ、さんざ学校で習いました。いまの学校でも、同じ意味の格言をアラビア語で習いました。

 でも、その格言の意味を、実感として、体で分かっているかというと…うーん、分かってないんじゃないかなあ…。この半年を短かったと思えないのが何よりの証拠。「進級テストに受からなかったら? もう半年やればいいじゃないの」とスルッと思えないのが何よりの証拠です。「進級テストに落ちても、わたし、学校に通い続けるからね!」と周囲に宣言しつつ、「たぶん自分はやめてしまうだろう」という確信に満ちた予感がしていました。

 さて半年後、次の進級試験のときはどんな自分になっているでしょうか。少しは進級テストが怖くない自分になっているでしょうか? …あんまり期待はできませんが。少なくとも、半年後まだアラビア語の勉強を続けている自分でありたいと願っています。

急いては事を仕損じる
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