スペイン語

スペイン語の思い出

 スペイン語との馴れ初めは2012年春。宮崎駿のアニメ「ハイジ」が見たくてネット上で探したらスペイン語版しか見つからず、仕方なくスペイン語で見たのがきっかけでした。

 本格的にスペイン語に取り組みはじめたのはその年の夏のこと。入門書の会話文を片っ端から読みました。

 まあここまでは、他の言語でやってきたことと基本的に変わりはありませんでした。


 けれど9月のある日のこと、かつてやったことのないことを初めてやりました。スペイン語のオンライン会話レッスンをお試しで受けてみたのです。

 一回50分。初めて使う「スカイプ」で、相手は中米にあるグアテマラという国のスペイン語学校でした。まだスペイン語を始める前、片桐はいりの「グアテマラの弟」でスペイン語学校の話を読み「いつかグアテマラでスペイン語を習いたい」と憧れていた、その夢を一度でいいから叶えたいと思ったのです。

 でもスペイン語で会話するのは生まれて初めて。スペイン語圏に行ったこともない。なのにいきなり50分も、始めたばかりのスペイン語で、ネイティブ相手に喋れるものかしら? とても不安で、「会話に詰まってどうしようもなくなったら、途中で通信を切ってトンズラしちゃおう」と決めてレッスンに臨みました。

 けれども、案ずるより産むが易し。さすがに相手はプロの語学教師、うまく会話を誘導し、知っているスペイン語を引き出してくれました。そりゃあもう、額は汗びっしょり、手にも汗を握り、頭フル回転でしたが、途中でトンズラしたくなるほどの窮地には立たされず、50分を無事終えました。

 夢のような50分でした。まるでドラえもんの「どこでもドア」。インターネットの向こうは、行ったこともない遠い遠い中米。憧れのグアテマラ。こちらが朝なら向こうは夜。時差が15時間もある地球の裏側とこんなに簡単に繋がれるなんて・・・!と感動しました。

 そしてスペイン語。50分間、曲がりなりにも会話が続けられたことに驚きました。


 結局お試しだけでは終わらず、ここからほぼ毎日、グアテマラの先生とスペイン語で会話する生活が始まりました。30~40人いる先生方はスペイン語学校の同僚で、時には親友、いとこ同士。先生が見せてくれるスナップ写真には見慣れた顔がいっぱい写っているわ、一人の先生から別の先生の噂話を聞くこともあれば、レッスン中、先生の後ろを別の先生が通り、手を振ってくれることもしょっちゅう。お祭りの賑やかな音が聞こえてきた翌日には「一晩中外がうるさくて眠れなかった」と別の先生が目を赤くしていたりと、まるで連続群像ドラマを見ているかのよう。普段の生活と平行し、グアテマラの一社会にも片足を突っ込んでいるような、不思議な気分でした。

 そして、スペイン語のレッスンは、わたしの生活に思わぬ変化をももたらしました。

 それはこういうことです。

 グアテマラという国は昔マヤ文明が栄えたところにあり、住民の大半がマヤ系の血を引いています。ところがわたしの先生方は意外とマヤ文明に詳しくなく、誰ひとりとして、マヤ系の言葉が話せないのです。語学が趣味の先生ですらマヤの言葉には興味がないようで「マヤの子孫なのに、どうして喋れないの?」と聞くと、「さあー?」と苦笑い。

 一方、先生方は日本の文化については案外詳しく、こっちがあんまり無知だと「ポルファボ~ル!(おいおい、大丈夫?)」といわれてしまいます。そしてわたしが着物を自分で着られないというと、鬼の首でも取ったように「日本人なのに、どうして着物が着られないの?」とくる。そのたびに「さあー?」と苦笑いするしかありませんでした。

 そんな中、折しもグアテマラで、マヤ系言語の教育を義務付ける法律ができたと知りました。それまで学校教育から排除されてきた地域の言語が、小学校から大学まですべての過程で教えられることになったのだそうです。それを聞いて「わたしも着物を着よう!」と思いました。そして着付けの自主練を開始。2013年が明けてからは、毎日着物姿でレッスンに臨むのが日課となりました。

 さあ、スペイン語そっちのけで着物に大ハマり。朝から晩まで、考えるのは着物のことばかり。スペイン語レッスンはただ着物について熱く語るだけの場となり、もう少し真面目にやらないと貴重なレッスンがもったいないと思いつつ、毎日50分のレッスン以外はスペイン語に関して何一つやりませんでした。

 ただ、この頃、図らずもスペイン語力は飛躍的に伸びました。「着物の世界はいやーな見栄の張りあいの世界」「こんな下手くそな着付けじゃ笑われる」などといった愚痴や泣き言を、レッスンを受けていない時間も、延々とスペイン語で考えていたのがよかったのかもしれません。

 ある日、着物で外国人を鎌倉に案内できたらいいなと突如思い立ち、通訳案内士の試験を受けることにしました。この試験では、外国語だけでなく、日本史、日本地理、一般常識の知識が問われます。試験申し込みから一次試験までの二か月間は怒涛の日々で、日本史を漫画、一般常識をスペイン語で読み、読んだ内容はその日のうちにスペイン語レッスンで先生に語りました。

 一次試験から二次試験までは、鎌倉のお寺や神社、博物館、日光江戸村などの文化体験スポットを頻繁に訪れ、これもレッスンで話しました。先生方はわたしの日記帳。但し、反応する日記帳でした。内容が面白いと生き生きと食いついてくる反面、つまらないと、先生方のまぶたはすぐ重くなる。ただのパンフレットの受け売りじゃダメ、いかに興味をひく切り口で話すかを考える日々でした。

 二次試験は敢えて着物で受けに行きました。当時、服装はスーツが鉄則。着物で受かった先例がなかったので、非常に迷いました。でもこの試験を受けるのも、着物がそもそものきっかけ。着物で受けに行かれないようでは、受かっても意味がないと思ったのです。

 会場では何百人もの受験者が順番を待ちをしていましたが、案の定、着物姿はわたし一人。でもその2年後、同じ試験を英語で受けたときは、わたしの他にも何人も着物の人がいました。わたしが着物で受けて受かるという先例を作ってブログに書いたから、皆安心して着物で受けに行かれるようになったのかもしれません。

 二次試験が終わると、着物とスペイン語への情熱が同時にサーーーッと引いていきました。あれほど楽しかったレッスンも砂を噛むよう。おそらく燃え尽きてしまったのだと思います。こうして2013年暮れ、1年間の着物生活とスペイン語レッスンの日々は切り良く終わりを迎えました。


 一体、あの一年間は何だったのでしょう。これまでの外国語学習遍歴の中で、スペイン語学習だけ異質で、連続性が薄いように感じられます。ぽかっとあいたエアポケットに吸い込まれて、別次元を彷徨っていたかのよう。

 けれども一方で、わたしがいまオンラインレッスンを受けているのは、スペイン語の経験があってこそ。もしあそこでスペイン語のお試しレッスンを受けていなければ、今のわたしの生活は違っていたことでしょう。

 また、グアテマラの文化に触れたことが、アイデンティティとは何かを考えるきっかけとなりました。そして着物を始めとする日本文化にどっぷり浸かったことが養分となり、着物仲間もできました。外国語学習者は異文化と接触する機会が多いせいか、着物を着る人が意外と多いのです。

 スペイン語は今でも時折オンラインレッスンで喋っています。いつかグアテマラへ行き、かつてお世話になった先生方にスペイン語でお礼が言いたい。それが夢です。

アルハンブラからグラナダ市街を臨む
アルハンブラからグラナダ市街を臨む。まるで絵画のよう。
タイトルとURLをコピーしました