Busuuでは、作文や音声録音を投稿すると、自動的に、母語の添削が促されるシステムになっています。この要請は断ることもできますが、自分も学習言語のネイティブの添削の恩恵を受けているので、なるべく受けるようにしています。
最初の頃は、添削が億劫でした。なぜなら意味不明な作文ばかりだったからです。最近少し減りましたが、以前は7、8割がこんな感じ:
いっ いっ べあうてぃふぁl あんd あlそ だrk. いっ むっ べ はrd と せえ いん tへ cあゔぇrんs.
・・・こういうの、ただでたらめに日本語キーボードを打っているんだとばかり思っていました。
でもあるとき気づきました。
違う。Busuuの日本語キーボードを使って、母語で書いているのだ、と。
たとえば上の
いっ いっ べあうてぃふぁl あんd あlそ だrk. いっ むっ べ はrd と せえ いん tへ cあゔぇrんs.
これは
It is beautiful and also dark. It must be hard to see in the caverns.
(美しくて暗いですね。洞窟の中でものを見るのは難しいでしょう)
え むいと ぃんど qうあんど あ なとぅれざ cりあ たいっ おbらっ pりまっ!
これはたぶんポルトガル語で、
É muito lindo quando a natureza cria tais obras primas!
(自然がこんな傑作を生み出すとき、それは大変美しい)
日本語作文として投稿しているのに日本語ではないという意味ではデタラメですが、全くのでたらめではないんですね。ちゃんとメッセージはある。ただ通じないだけで。
Busuuの会員の平均年齢はたぶんものすごく若いです。おそらく中学生くらいにボリュームゾーンがある。こういう「自称日本語」を書くのはきっと彼らでしょう。
もしかしたら彼らは外国語の何たるかが分かっておらず、母語を日本語キーボードで打てば日本語として読めると信じているのかもしれない。それとも単に、摩訶不思議な日本の文字を打つという経験をしてみたいだけかもしれない。
でも何であれ、ただキーボードをデタラメに打ったものではなく、意味のある「作文」なのです。
なんだか感動してしまいました。
確かにこれじゃ通じない。
でも、「通じない」ということと、「伝えたいことがない」のとは違う。
通じないという点では同じでも、たとえば赤ん坊がキーボードをむちゃくちゃに打つのとは違う。そこにはなんらかのメッセージ(言葉)があるのです。
こういうのを、なんと呼びましょうねえ。
水面下の語学力とでも呼びましょうか。
とはいえ、こういうのは日本語ではないことは確か。
だから、ほんの一言でも日本語が書いてあるとホッとします。たとえそれがローマ字でも。
そして、ひらがななんかで書いてくれたら、もう大喜びです。
とり
かめ
とかね。
こういう作文には、他の日本人から「もっといろいろ書きましょう」という励ましのコメントがついていることもありますが、わたしからすると「good job!」以外のなにものでもない。だって鳥の画像、亀の画像なのですから。100%正しい。しかも日本語。よくぞここまできてくれました、と思います。
あと、よく見かけるのが、初対面の挨拶を書く作文で見かける
うれしい
の一言です。
一体これは何だ、と思うでしょ? 実はこれ、
Nice to meet you.
という意味なのです。
これも一時大量発生してて、一体なんなんだ、と思いましたが、試しに日本語コースをやってみたらわかりました。なぜだか「Nice to meet you」の和訳が「うれしい」の一言だったのです(笑)
・・・ほんとBusuu、やってくれますよねー。でも最近あまり見かけなくなりましたから、日本語コースのテキストを直したのかもしれません。
しかし習った通りに作文に書くということは、みんな真面目に日本語コースで学んでいる証拠ですね。
文が書いてある文字通り「作文」もときどきありますが、言わんとすることが不明で、どこをどう直してあげたらいいか、分からなくて困るものも多いです。
それだけに、意味が分かる作文に出くわすと、ホッとします。たいていの場合、助詞の「は」が「わ」になっていて、文の最後にマルがついていないのですが、意味は完璧に通じる。どこをどう直してあげたらいいのかが分かる作文はほんの一握り。素晴らしいです。
こうした日本語作文を見ていると、外国語の習得って、やっぱり大変なんだな、と思います。
日本人はよく「英語力ゼロ」と言ったりしますが、「ゼロ」といいつつ、アルファベットが読めて書け、さらに意味が通る程度の文が書けたりする。その贅沢な状態を「ゼロ」という言葉で無効化するのは、あまりにもったいない気がします。
確かにネイティブが見たら直すところはたくさんあるでしょう。でも間違いはあっても、たいてい通じる。
伝わることのありがたさを、添削しているとしみじみ感じます。